TruthFactory:最大の詐欺、連邦準備銀の歴史


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Truth Factoryへようこそ。
連邦準備銀(FED)がニュースに現れると共に、思ったんです、
その歴史を探求することは面白いと。
皆さん、退屈だと思われるでしょうけど、
実際には、秘密、陰謀、スキャンダル、詐欺、盗みの歴史なんですよ。
事実として、あなたの暮らしと未来の世代に影響するんです。
しかし、FEDに行く前に、
いくばくかの文脈を見るのが大切です、
米国の銀行システムの始まりです。
1775年のことです、
米国民は、既にその結果に苦闘していました、
中央化された銀行システムにです。
英国は、英国銀行から受けた融資の負債に苦しんでいました。
これは私有銀行にも関わらず中央銀行だったんです。
負債の返済のために、彼らは米国植民地に税をかけ、英国通貨を強制しました。
米国は利子付きでこれを借りることになったんです。
米国革命(独立革命)の理由としてはいろいろ言われるんですが、
ジョージ・ワシントンは言っています。
「キング・ジョージは、植民地に正直なマネーシステムの運営を許さなかった。」
「これは、一般大衆を金操作屋の囚われから解放するものなのだが、」
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「おそらくは、それが革命の主な原因だったのだろう。」
1781年までに、米国は財政的に苦しんでいました、戦争のためにです。
追い詰められたために、渋々と、私有の中央銀行を作ったんです。
英国銀行を基盤にするものです。
皮肉なことに、まさに同じ銀行です、植民地が戦っていたものとです。
1783年のことです、
米国は英国からの独立を勝ち取りました。
そして、中央銀行はもはや不要になりました。
建国の父達は、中央銀行に断固とした態度をとり、
あるいはゴールド、シルバーに裏打ちされていないいかなる銀行にもです。
にも関わらず、1791年には、
First Bank of United Statesとして知られる中央銀行が作られました。
そのほとんどは、アレクサンダー・ハミルトンの固執によるものです。
この銀行が米国を負債に追い込み、
1811年に閉鎖されました。
しかし、たった一年後の1812年に、
米国はまたも戦争をしました。
そして、二つ目の米国中央銀行が、マディソン大統領によって開設されました。
しかし、1833年に、アンドリュー・ジャクソン(大統領)が、
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米国民の後押しもあり、
執行権を使って中央銀行を閉鎖したのです。
1835/1/8に、米国はオフィシャルに負債無しになりました。
(1935と言っているが間違い)
実際に黒字になったのです、米国史上初であり、そして最後です。
もちろん、英国の銀行家はこれに我慢できません。
そして、ジャクソンを破壊するためなら何でもしました。
ほぼ間違いなく、これによって起こったのは、1837年の財政パニックです。
こう言われています、ジャクソンが死ぬ前に、最も大きな達成は何かと聞かれ、
「私は銀行を殺した」と。
ですから、ひどい皮肉ですね、彼の顔が今や、連邦準備銀行券にあるのは。
1900年にゴールド標準法が通過しました。
これは、米ドルをゴールドにつなげるものです。
これは意味があることです、
ゴールドが貴重で、稀で、魅力あり、安定した商品だったのですから、数千年のあいだ。
そのためにまた、ゴールドを持ち運ぶのは危険がありました。
ですから、人々は当然これを銀行に入れ保管しました。
そうして、紙のレシートを受け取ったのです、こんなものです。
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このレシートをいつでも銀行に出せば、
等価なゴールドを受け取れるのです。
このシステムには信頼がありました、
時が経つに連れ(?)、このレシートがゴールドとみなされたからです。
しかし、これは非常に重要ですが、これら二つは同じではありません。
この一片の紙はゴールドを表し、それが通貨です。
この単位は、価値を表すに過ぎず、
たくさん作られると薄くなりうるのです。
実際のゴールドがお金であり、
その価値は限られています。
そして、非常に長い間、購買力を保持するのです。
ゴールド、シルバー、あるいは何でもですが、裏打ちされた通貨は、
一貫した価値があり、意味があります。
何かしら裏打ちがなければ、
通貨は単に紙です、任意に簡単に印刷でき、価値が落ちるのです。
1907年に財政パニックが起きました。
こう信じる歴史家もいます、
この原因としては、
悪徳資本家であるJPモルガンが、
モルガンのライバルであるKnickerbockerという信託会社の噂を撒き散らしたからだと。
この噂によって、National Bank of Commerceが小切手の受け入れを停止し、
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それが人々に投資を引き上げさせる引き金となりました。
これによって株式市場は、前年比でおよそ50%崩落しました。
そこでモルガンがしゃしゃり出て、救済を提案したのです、
不安定ないくつかの銀行に対してです。
彼は救いのヒーローのように見えました。
この全体の危機を作ったのが彼自身らしくともです。
なぜこんなことを?
これによって、両方の党を信じさせることになったのです、
米国銀行システムを改革する必要があると。
そして、パワフルな銀行組織から守られる必要があると。
そこで、国家マネタリー委員会が作られました、より良いシステムのために。
ここから連邦準備銀行(FED)の話が始まります。
暗闇に隠された1910/11/22のことです。
ニュージャージーにおいて、
7人の奇妙な人間たちが私有の列車に乗り込みました。
これはロードアイランドの上院議員ネルソン・オルドリッチのものです。
オルドリッチは、ちょうど国家マネタリー委員会の議長になったところでした。
その義父は、J・D・ロックフェラーで、ロックフェラー王朝の相続人です。
カモ打ち猟という策略のもとに、
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この7人は、別々に乗り込むよう指示されました、レポーターを避けるためです。
そして、駅で顔を会わせようと、見知らぬふりをしたのです。
乗車の後は、ファーストネームだけで呼び合うこととされ、
列車の給仕さえ、誰かわかりませんでした。
この列車はジョージア州のジキル島に向かいました。
この会合はJPモルガンによって設定された可能性が高いです。
彼はエリート達のジキル島倶楽部のメンバーでした。
オルドリッチに加え、エイブラハム・ピアット・アンドリューがいました。
彼は財務省の副長官です。