コルベットレポート:エドワード・バーネイズを紹介しましょう


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コルベットレポートです。
CorbettReport.com
多くの人が思うのは、PRとは、
代理的、宣伝広報活動ということだ。
PRとはそういうものではない。
これは相互協力である。
クライアントに対してアドバイスするのだ、大衆を納得させるような態度と行動を。
そのユニット(会社などの組織)の存続がかかっている大衆にである。
そして、大衆に、教育し、情報を与え、従わせるのだ。
これらの社会的な良い製品、考え、概念、何であれ受け入れるようにである。
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コルベットレポートのエピソード33にようこそ。
「エドワード・バーネイズを紹介しましょう」
今お聞き頂いたのは、エドワード・バーネイズの音声録音です。
ほぼ聞いたことが無いであろう男です。
恥に思う必要など全くありません。
実際、わずかな人しかエドワード・バーネイズを知らないのです。
20世紀における彼の影響は計り知れないし、
彼の考えが21世紀の今も続いているにも関わらずです。
彼がほぼ無名という事実は皮肉ですね、
彼の最も有名な著作の、次のオープニングを考えてみれば。
「第一章 カオスを組織化する」からです。
「大衆の組織化された習慣や意見を、意識的かつ知的に操作することは、」
「民主主義社会の重要な要素である。」
「この目に見えぬ社会の仕組みを操る者が、」
「目に見えぬ政府を構成し、それが我が国の真の支配力となる。」
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「私たちは統治され、心が型抜きされ、好みが形成され、考えが示唆されるが、」
「その大部分は聞いたこともない人たちによって行われている。」
申し上げたように、これらはエドワード・バーネイズの最も有名な著作のオープニングです。
1928年の本、「プロパガンダ」です。
(中田安彦他訳、成申書房)
そうです、この男こそが文字通り書いたのです、
プロパガンダについての本を。
彼の考えが数百万に影響し、彼の卓越した洗脳プロパガンダテクニックが、
インスパイアしたのです、ナチス・ドイツのジョセフ・ゲッペルスなどを。
申し上げたように、エドワード・バーネイズの名前を聞いたことが無いと思います。
しかし、聞いたことはあるでしょう、彼の叔父、
ジークムント・フロイトです。
興味深い点としては、エドワード・バーネイズが、
米国でのジークムント・フロイトの名前を有名にしたのです。
フロイトの米国人の甥がその考えをどのように普及させたか、
PRの技術、いや大衆洗脳プロパガンダ技術をどうやって発明したかを知るために、
見てみましょうか、取り繕われたドキュメンタリーを。NPR(米ナショナル・パブリック・ラジオ)のものです。
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エドワード・バーネイズの功績についての、この短い音声による検証から、
わかるというものです、エドワード・バーネイズの影響力を。
この、ジークムンド・フロイトの話は、ワシントンDCのフロリダ通りグリル(レストラン)から始まります。
これは少々奇妙に見えるかもしれません、
ソウルフード・レストランでの心理分析の父の話から始めるのは。
しかし、わかるのです、詳細に見てみれば、
フロイトの影響の跡は、ここにさえあるのです。
ベーコンと卵、チーズと卵
ベーコンと卵は全米の朝食ですね。
このグリルで最も人気があります。
ウェイトレスのキャサリン・リーチによれば、他の食事は足元にも及ばないと。
60%と言ってもいいでしょうね、
ベーコンと卵です。
ベーコンと卵は常に米国人の第一の朝食であったわけではありません。
一日を始めるのに、これがベストという考え、
米国人生活で他に多くありますが、
実際には、システム的に操作されたのです、PRエージェントによって。
このケースの場合には、PRエージェントは、非常に影響を受け、緊密につながっていたのです、
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ジークムント・フロイトです。その甥のエドワード・バーネイズです。
バーネイズは米国で育ちましたが、
夏の間は、有名な叔父と共にオーストリアの丘を歩きました。
その外出のあいだ、彼が吸収したものは、
人間の心理の内部の仕組みについての多くのレッスンです。
現代のハンター大学歴史学者Stuart Ewenが言うには、ここに含まれたのは、
強い信念です、人間の本質に関する最も基本的な想定に大きな欠陥のあることです。
1900年代初頭までは、
ある種の基本的な想定としては、
ある種の明確な理解ですね、人々が理性的存在であると。
そして、うまく構築された事柄を示せば、人々が従ってくれると。
それが、独立宣言の基本的論理なわけです。
しかし、フロイトは人間動物について異なる見方をしていました。
彼が考えたのは、人々が全く理性的でないことです、その文明的外観に反してです。
表面下にあるのは、ある種の本能的動揺です。
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そして、無意識の欲望、そういった類のものです。
抑圧されてはいますが、
それでも、巨大な力を発揮するのです、人々が行動するやり方に。
セックス、攻撃、安全、自己維持、
フロイトが世界を見てみると、見えたのです、
これらが、最も日常的な行動でさえ動機づけしていると。
これを示すのは、アン・バーネイズです、エドワードの娘であり、フロイトの又姪(甥の娘)です。
彼女の父は素早く吸収したと。
素早く消化し、単に使いました。
つまり、誰かにさせたいことをさせる場合、
彼らが何を望むと言うかは、無関係で、
本当は何を欲するかを見出すのです。
ここで朝食に戻ります。
1920年代なかばのことですが、
若い広報係としてバーネイズに要請がありました、ビーチナット包装会社からです。
その主力商品ベーコンの売上の改善をです。
Larry Tyeがバーネイズに関する本を書きました、
「Father of Spin」です。
(捻じ曲げ、誤った解釈の父)
基本的に連中に雇われたわけです。
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この国で下落したセールスを戻せと。
朝食として、ジュース、トースト、コーヒーに削られていたわけです。
その当時の平均的なPR連中は、
「ベーコンを割引にしろ、それでもっと売れる」と、
そして、「もっと宣伝だ」と、高い新聞広告やら何やらと。
しかし、バーネイズは明らかに平均的PR連中とは異なりました。
フロイトからの指示を得て、キャンペーンを作りました、
倹約以上のより基本的な価値です。身体的安全です。
食事は単に栄養を得る以上に、
身体に入れるものについて、何かしら幸福の感覚を作り出すものだと。
ベーコンと幸福をつなげるために、バーネイズは医師に質問調査を配りました。
彼が聞いたのは単純な一つの質問です。
「栄養価の高い朝食、それとも軽いものを指示しますか?」
医師の解答は、栄養価がベストだと。
そして、バーネイズは彼自身の「栄養価」の定義を思いつきました。
ベーコンと卵です。
医療権威を背景として、
教育的キャンペーンを開始したのです。
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そして全米の朝食が生まれたのです。
バーネイズ以前は、ベーコンと卵が全米の朝食など考えたこともありませんでした。
ですから、彼は特定の製品を再定義しただけではなく、
全米の考え方を再定義したのです、
朝食の食べ方をですよ。
現在も永続するようなやり方でです。
もちろんですが、無意識の動機に対するフロイトの洞察は、
様々な知的領域への巨大な影響を持っています。
心の健康において、アメリカ人は何世代にもわたり、心の考古学者になりました(?)。
この概念はまた経済的思想にも影響しました。
無数の卒業生が、英語での論文を生み出しました。
しかし、この考えがPRを変えたやり方というのは、
意図しない結果を生み出したのです。
フロイトの甥より以前というのは、広告は、
ジャーナリズムを真似するのが目的でした。
しかし、フロイトとバーネイズの後は、ゴールが変更されました。
理性的なアピールから、直感的衝動の刺激にです。
バーネイズは広範囲に書いています、
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フロイトの複雑な理論を正確にどう適用するかをです。
そして、彼のテクニックは広く適用されました、
売るものは何でもです、石鹸から大統領、タバコから外交政策、
そして大量虐殺でさえもです。
UPIが戻ってきて報道したところによれば、
ヒトラーのPRチーフジョセフ・ゲッペルスの訪問からですが、
言ったのです、
ゲッペルスの図書館には。。。そこでインタビューしたのですが、
棚に一つか二つのバーネイズの本があったと。
明らかなことは、プロパガンダ連中は、善のためにも悪のためにも、
彼の理論と彼の考えを使ったわけです、世界中でです。
フロイトとバーネイズは常に連絡をとりあっていました、フロイトの1939年の死去までは。
しかし、明らかに、フロイトは明確には理解していませんでした。彼の考えがどう利用されているかについて。
そして、たびたび躊躇したものです、甥が彼の仕事を広めようとする計画に。
バーネイズは、フロイトへの手紙の中で常に勧めていました、彼の複雑な精神的動的理論を商業化することをです。
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ある時、提案したのです、フロイトは大金を手にできると、ある種の簡単な流行歌を作ればです、
そうすれば、主婦や多忙な人間が、ある種の家に持ち帰るべきメッセージを忘れないと。