【戦争体験】近藤一さん(故)中国戦線を語る。日本軍の加害について語る数少ないひとりが近藤一さんでした。2014年5月取材映像。

お断り:以下の字幕は全体の1/4程度になっています。画像をクリックして動画全体を見ることができます。
お邪魔しまーす
来ていただくと思っていないもんで、
布団も敷きっぱなし
すみません
これ一番最初、こちらに貼っときますね
ちょっとお手伝いします。
ーーすみません。
[00:01:00]------------------------------
私の戦争体験、
(?)をお話しさせていただきます。
部隊は、独立歩兵第13大隊の中の第20隊になります。
初年兵は、当時70名位でしたが、
集合して入隊の手続き、
いわゆる普通の服装から軍服に着替えるということをやりました。
そして、着いたところが、大沽(タークー)という当時の日本の軍港と言われたところです。
大沽に上陸して、それから列車に乗るんですが、
[00:02:00]------------------------------
大沽から北京の方に回るのですが、
それからずっと南下してきて、
石家荘という所が交通の要所になっているんですが、
石家荘から西の方へ行くと、山西省と言いまして、
ほとんどが山のところです。
この石家荘と山西省の省都である太原(タイゲン)、
この中間に陽泉があります。
ここは、周囲の山がすべて石炭なんです。
だから、日本がそこから略奪して、本国に送る、
そういうことを軍隊はやっていたのだろうと、思うんです。
陽泉というところに62師団というのがあったわけなんです。
陽泉からトラックに乗せられて、
どんどん南へ行って、
遼県という所に行くわけです。
(現在の「左権県」と思われる)
[00:03:00]------------------------------
我々初年兵は、三八式歩兵銃(を使っていました)。
我々は歩兵ですから、
戦争の最前線で戦う兵隊です。
そして、この三八式歩兵銃というのは、
長さが1.27メートル位で、
重さは4Kg弱です。
弾こめは、上から5発を入れて、
弾こめして、バタンと引き金を引けば、弾が出るわけです。
そういった明治38年に制定された銃だというので、
三八式と言われると教えられました。
それを渡された折に、
この三八式歩兵銃の中間に菊の紋章が、