マイク・アダムス:内なる神


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内なる神~物理学、宇宙論、意識と真実の追求
私はいつも物理学者を称賛している。彼らは、いつも自然についての疑問を追求している。
そして厳格な科学的アプローチを使い、
知識を探求しているんだ。
彼らはドグマ、個人的信念あるいは策略によって道をそれることを拒否する。
科学とは、その最も純粋な形としては、真実の追求だ。
私は科学の歪曲について話しているのではない。これらは、科学の名のもとに現代の企業が行っていることであり、
知的専制を押し付け、
GMO、ワクチン、薬剤の儲けのために行っていることだ。
そうではなく、今話していることは、企業に操作された科学ではなく、人間の理解のための探求についてだ。
この人間理解のための探求という点では、非常に面白い分野の研究がたくさんある。
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しかし最も想像力のある探求の行われてる場所は、量子力学の分野だ。
多世界解釈と意識研究だ。
それを見ていく過程で、私は有名な物理学者スティーブン・ホーキングの本を読んだ。
これは Leonard Mlodinowとの共著だ。
長年にわたるホーキングファンとしては、
彼の万物の理論の説明を読むことを楽しんだ。
これはグランドデザイン、すべての背景にある見えざる手だ。
しかし、その本で見つけたことは、むしろ私を驚愕させた。
その最初のページからがっかりさせるものだった。
明らかに宇宙の理解が欠如しているからだ、
これはホーキングと同等の知的能力のある人によってもたらされたものだ。
すぐにわかるように、彼の言葉は、単にいわゆる現代の物理学のGreat Feelingを反映してものに過ぎない。
(訳注:直訳では、快感・いい気分)
つまり、数学の裏にある意味に取り組む方法としては。
現代の多くの主流派物理学者がここで立ち往生しているように見える。
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つまり、「意識のニュートン時代」としか呼べないような代物だ。
彼らは「意識が存在する」という考えを受け入れることができていない。
よく聞いてもらいたい、以下はホーキング自身の言葉だ。
「確立された物理学とは、確立された医療に良く似ている」
ホーキングの本、グランドデザインは、それを理解するための私自身の探求に役に立った。
それは、確立された物理学という、流行遅れの見方を要約していたからだ。
この主流派物理学の現実の見方というのは、確立された医療が治癒を見る見方と同じものだ。
言い換えれば、専門を用語を使った戯言にすぎず、ソウルが無い。
だから、核心部分を逃してしまっている。
別の言い方で定義すれば、確立物理学というのは、高レベルの数学の賢い塊にすぎない。
そして、是が非でも、その意味するところの議論を拒否しているのだ。
意識、自由意思、(テレパシーのような)不気味なつながりを話すことは禁じられているのだ。
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宇宙におけるすべてにおいて、これらの存在が実験され、デモされているにも関わらず。
これらは、確立物理学者を不快にさせる数多くの疑問を掘り起こしてしまうからだ。
神についての疑問、物理宇宙と意図の関係性。
あるいは、自由意思だ。
彼らのカバーストーリー(つじつまを合わせるための作り話)には、名前がある。コペンハーゲン解釈だ。
これは「黙って計算しなさい」に要約される。
量子物理学のコペンハーゲン解釈というのは、本質的に知的な安心毛布なのだ。
(訳注:安心感を得るため、幼児がいつも手元に置く毛布やぬいぐるみなど)
そのもとで、物理学者は視野の狭い数学や計算に取り組む。より大きな疑問に邪魔されることなく。
それは哲学領域から否応なく起き上がるものだ。
ところで、ホーキングの本はそこから始まっている。第一ページに彼はこう書いた。
「哲学は死んだ。哲学は今日の科学の発展に追いついていない、特に物理学には」
哲学は死んだ?
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気絶するような宣言だ、そのぶっきらぼうさにではなく、その傲慢さにだ。
哲学の成功は、それがどの程度物理学に追いついているだなんてね。
伝統的な物理学者のほとんどは、物理学だけですべてを説明できると信じ込んでいる。
グランドデザインは、我々が数学に取り組むことによってのみ明らかになると思っているんだ。
存在のミステリーは原子の研究で理解できると思っている。
それと、ビッグバン直後に展開された小さな運動量の破片の研究だ。
ホーキングの本の中の一章は、実際に「万物の理論」と名付けられている。
本当?すべて?
物理的なものだけじゃなくて、他すべてもってこと?
信じるのは難しかったね。典型的な量子物理学者は、おそらくホットドックの中に何があるのかも知らないだろうからね。
まして宇宙全体はね。
こういったユーモアは許してほしい。
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これを真面目に考えているのだから。さて、物理学そのものの定義というものを考えてみよう。
コリンズ英語辞典では物理学を以下のように定義している。
「科学の一部門であり、物質の性質、エネルギー、それらの関係に携わる。」
「数学にもとづいており、伝統的には力学、工学、電磁気学、音響学、熱が含まれる」
物理学を、「すべて」の研究をする学問だなどと定義した辞書は無い。これは確認した。
「物理学はすべての説明をするもの」という考えは、実際に少し傲慢だ。
しかし、物理学分野でこれは新しくはない。
トップの物理学者達は、すべてを解き明かしたと考えていた歴史がある。
「もはや物理学における新たな発見は何も残されていない」。これは1894年のケルヴィン卿によるものだ。
(訳注:初代ケルヴィン男爵ウィリアム・トムソン。熱力学の開拓者の一人)
そしてこう続ける。「残るものは、より詳細な計測だけである」
「神の粒子は、粒子ではない」
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ステーヴン・ホーキングは聡明な男だ、彼のフィールドにおいては。
おそらくは、誠実で善意のある人だろう。
しかし、物理学におけると同程度の聡明さで、
彼は真実探求においては、一つの特殊なアプローチという点で誤解している。
そして「哲学は死んだ」と言うのだ。
そして、哲学が答えを探求してきたものを否定しているのだ。
物理自体においては、質問もされないような事柄だ。
意識とは何か?
神はいるのか?
死の後には何がある?
我々の知ることは、いかにして知り得たのか?
存在するとはどういう意味か?
愛は計測できるのか?
意識はどのように物質やエネルギーと関わるのか?
もしあるならば、我々がここにいる目的は何か?
これらの疑問というのは、もはや重要とみなされない。
伝統的な物理学者は、こういった疑問からの知識探求を放棄してしまうのだ。
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あるいは、物理学者がスーパー加速器を使って、神の粒子なるものを必死に追いかけているが、それがすべての疑問に答えるとでも言うのだろうか?
コペンハーゲン解釈を思い出してみよう。
これは、こういった疑問と格闘するのを避けるための便利な逃げ道になっているのだ。
「黙って計算しなさい」
気味の悪いものについての質問をするな。
神の粒子に関する、これまで最も奇妙なことは、その「神の粒子」という名前自体だ。
それ自体が明確に誘導するコメントだろう。
伝統的物理学コミュニティにはびこる妄想、その失望度合いを示すものだ。
神の粒子という名前は、どちらの陣営からも間違っている。
神でもないし、粒子でもない。
事実、物理学の一部門は、「粒子物理学」というのだが、
粒子など全く研究していない。
どんな物理学者でもこれは認めるだろう。
粒子を見る時、実際にはエネルギーの波動を見ているのだ。
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ちらついている構造化された確率波だ。それは数兆分の一秒で消え失せる。
いわゆる粒子物理学の背景には、何があるだろうか?
多くの物理学者が驚くように、
意識という奇妙な問題があるんだ。
意識が、確率の現れ方を決めてしまう。
我々の外見的な宇宙の中の外見的な実物の粒子として。
意識が存在しなければ、そもそも観測者は明らかな物理法則を何にも翻訳することはできない。
観測可能な、テスト可能な事象に。
深いレベルにおいては、興奮するような証拠があるのだ。つまり、
「意識が物理学である」ことを新たに示唆するようなものが。
E=mc二乗のようなものと同じような考え方だね。
(訳注:アインシュタインの方程式)
もちろんこれは、エネルギーとは物質であることを示すものだが、
それを異なる形式にしただけだ。
増々明らかになっていることは、物理学というのは意識を考慮すること無しには完全には説明できないということだ。
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これが伝統的物理学者が立ち寄りたくないと思っている「うさぎの穴」だ。
(訳注:「不思議の国のアリス」。予測できない不思議へ転がり込むこと)
少なくとも、彼らのキャリアや学術界での評価を保持する限りはね。
「我々はただのロボットだ」
スティーヴン・ホーキングは意識の存在を信じない。
自由意思もだ。
彼は文字通り信じている、我々が単に決定論的なロボットであると、
そして、あたかも生物学的な操り人形のように振る舞っていると。
それは、予測可能で機械的な生物的インパルスによって操作されていると。
彼が言うところは、
「我々は自身がなす事を選択できるかのように感じているが、」
「しかし、生物の分子的基盤による理解によると、」
「生物的プロセスというのは、物理法則、化学法則によって支配されているのであるから、」
「惑星軌道のように決定論的である」
「近年の神経科学における実験の示すところによると、」
「我々の物理的脳は科学法則に従っており、」
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「それが我々の行動を決定づけており、これらの科学法則外の主体といったものは存在しない」
わかるだろうか?
ホーキングは、完全に否定しているのだ、マインドや意識やスピリットとのコネクションといったものを。
そして、すべては決定論的な時計じかけにすぎないと。
生物的な決定論であり、それを彼は我々の脳と呼ぶ。
もちろん、こういった異様な信念を持つものはホーキングだけではない。
標準的な科学者、物理学者の大多数が同じような信念を持つ、
人間存在というのが、単なる生物的ロボットに過ぎず、
ソウルもなく、意識もなく、自由意思もないと。
Francis CrickはDNA発見者の一人だが、アウェアネスとは脳で作られたフィーリング以外の何物でも無いという。
彼は言う。「あなた、あなたの喜びや悲しみ、記憶や野心、」
「個人的同一性の感覚、自由意思といったものは、実際に、」
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「神経細胞とそれらに関連する分子からなる巨大な集合による振る舞いにすぎない」