ドーイ・ラーソン:帰納的理論と発明的理論(1978)


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新たな科学真理が勝利するのは、反対派を確信させ、そこに光を見出させるからではない。
最終的には反対派が死に、それに良く親しんでいる新たな世代が育つからである。
マックス・プランク~物理学者、量子論創始者の一人
しかし、より理解しやすいように、
さらに5000年前に戻ってみましょう。
粘土板の書物が発明されたときです、シュメール人によって。
人類が初めて得たのです、記録を永続するチャンスが。
その考えや行動をですね。
(しかし)その時既に存在してたんです、
洗練された天文科学です。
その当時、科学者というのは、司祭であり、
基本的な天文知識に親しんでいただけではなく。。。
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つまり、太陽、月、惑星の明らかな動きですが、
それだけではなく、日食を予言するほど発達していたんです。
そして、現在の計測値とは、30分程度の誤差で、一年の長さを計算できていました。
それらの計算や、その類の前提というのは、当時の科学の基礎的なものでした。
ある意味、私が使う言葉「ネッド(?)」の科学ですが、
これは、最も基本的な関係ですね。
その当時の科学が使った原理です。
この原理というのは、もともと、
我々が今日呼ぶところの、帰納法・帰納的推論の単純な応用から導かれたものです。
つまり、経験を一般化したということですね。
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これが、科学的原理を導き出す、最も信頼のおける方法なんです、
基本的であろうと、他であろうと。
しかし、不運なことに制限がありますね。
経験可能な情報の量によって制限されるんです。
その情報が分析できる限りになるんです。
ですから、その結果、
古代における帰納的科学というのは、
経験的に発見できることに、進歩がとどまってしまう傾向がありました。
そして、最終的には、恥ずかしいことに未解決の問題が山積みになったんですね。
これが、エジプトの状況であり、バビロニアでも、極東でもありました。
約3000年前の話です。
時間と共に、新たなアプローチが熟しました。
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これが、注目すべき人たちによってもたらされたんですね。
ギリシャの黄金時代に栄華を極めた人たちです。
この人達が言うには、宇宙の秩序の根源は、精神であると。
一般原理を導きだす適切な方法としては、
洞察と推論を適用することだと。
これらのやり方の変化の結果としては、
物理現象の原因に注意を集中させることでした。
現象そのものではなしにです。
エジプト人は、岩が高いところから落ちる事実しか見ませんでしたが、
ギリシャ人は岩が落ちる原因を見ました。
その理由としては、すべてに、その自然な場所があると。
ですから、岩は、単にその自然な場所を求めるだけだと。
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このようにして、出来事を説明していったのです。
以前の帰納的理論の大きな欠点を修正したんですね。
同様に、
彼らは理由づけをしました。。。マイヤー教授が指摘したように、
地は明らかに不完全の一方で、天は完全だと。
ですから、天体のすべての動きは、完全な形のはずだと。
これは(真)円です。
ですから、天体の軌道は、疑いなく円だと。
さて、観察と実験によって、
確実にギリシャ人は二流になりましたね(?)。
しかし、彼らは全く気にしなかったでしょう(?)。
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そして、観察が示すところでは、天体の動きは真円ではないわけですが、
奇妙な食い違いと認識されたのです。
何とかしなければと。
しかし、発明的科学(Inventive Science)について強調すべき点の一つとしては。。。
ギリシャ人のような発明的科学についてですが、
簡単に順応できたのです、より多く発明することによってです。
ですから、彼らが想定したのは、
惑星が、周転円と呼ばれる小さな円を回ることです。
そしてこの周転円が、主要天体軌道を回るというものです。
そしてさらに、観察が洗練されてくると、
さらに(実際の動きとの)食い違いが起きてくるわけですが、
全く同じように修正されたのです、より多くの周転円を追加することです。
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この、天体軌道のプトレマイオス理論は、
典型的な発明的理論(Inventive Theory)でした。
今我々がこれを歴史的視点で見てみると。。。
このプトレマイオス理論を見ると、こういう考えが出てきます、
発明的理論の一般的特徴です。
注意すべき最初の点としては、
この理論は数学的に正しかったのです、
既存の観察可能な制限の中においてはです。
(しかし)これらには限界がありました。
これは、すべての発明的理論の一般的特徴です。
これは、特定の目的のために発明されるからです。
これは特に、既存の数学に合うように作られてるんです。
二つ目の点ですが、
重要な点ですが、
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このプトレマイオス理論が、概念的に間違いであることです。
数学の解釈が間違ってたんです。
これが、すべての発明的理論に適用できる、一般的な特徴なんです。
これが発明された時の状況が、その理由なんです。
多くの人が指摘するように、
科学における長期間の問題というのは、継続しません。
それを解決しようとする者たちの能力の欠如によってです。
(適当な解答を与えてしまうから、継続しないということ?)
そして、継続できない理由の二つ目は、
それを解決しようとする際の方法論の欠如です。
継続する場合というのは、
重要な情報の一部が欠落している場合です。
プトレマイオス理論の場合には、二つのこういった情報があります。
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ギリシャ人はわかっていなかったんです、
惑星が、地球の周りではなく太陽の周りを回ることをわかっておらず、
そして、知りませんでした。重力がこれらの動きを支配していることを。
これらの二つの情報が無いのであれば、
プトレマイオス理論だろうが、他の理論だろうが。。。
これは数学を説明しようと発明されたものですが、
これらが正しかったかもしれません。
これが、発明的理論の一般的特徴です。
今はこのことを強調しておきましょう、
後で重要になってきますからね。
もし、情報があるなら、すべての重要情報が得られるのであれば、
理論を発明する必要は無いんですよ。
そして、帰納的方法で得ることができるんです。
重要情報が欠落していれば、
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いかなる理論を発明しようが、概念的に正しくはありえないんです。
そして、実質的に、その場その場の仮説を作り出す機会がいくらでもあることを考えると。。。
この場合は、周転円の追加ですが、
発明的理論は、決して帰納的システムの理論となる運命にはならないんです。
発明的システムは、いくつかの点に帰着します、
常にですが、
帰納的理論が、発見の進歩に遅れをとったというような大きな事例はありません。
しかし、発明的理論、究極的には、理論の発明システム、発明的科学というのは、
そう呼ばせてもらいますが、
最終的には、その運命に直面するのです。
遅かれ早かれです。あまりに多くの「周転円」のためにですね。
そのあいだに、
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観察の進歩や、下層における帰納的理論の構築が継続するのです。
ですから、最終的には、その地点に到達しますね、
これらの理論が十分広範囲になり、
支配的な発明的理論を打ち負かすのです。
そして、発明的理論が引退するんです。
それがギリシャ人の発明的システムに起こったことです。
約1200年前のことです、
そのとき、
天の完全性、事物の自然な場所、他の支配的原理、
それらをギリシャ人が発明したのですが、破棄され、
他の理論に置き換えられました。
これらの人によってです、ケプラー、ニュートン、
帰納的推論により、事実を基礎としたものでした。
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いまや、その利点ですが、
2500年の蓄積された科学的知識により、
最初の帰納的理論の死滅以来のものですが、
この、ニュートンの新たな科学と、同時代の人たちが、これらの成果を大幅に改良したわけです。
そして、非常に印象的な成功をしましたね。
当時の、これらの科学者は、完全に確信したわけです、
物理的宇宙の全体的知識が、自らの手中にあると。
しかし、再度ですが、
帰納的理論が生来的に持つ弱さが、
あらわになったわけです。
ニュートン科学は、一連の問題に直面し、答えられなくなったんです。
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そうして、現在の時点まで、発明的科学がこれを乗っ取ったのです。
(?)という考え方が、一般的には受け入れられていますね、
そして、良く知られた思考の特徴になりました。
その起源は、知られなくなってしまいました。
特に驚きでも無いのですが、皆さんの多くはおそらく、
こういう考えを受け入れがたいと思うでしょう、
現代物理学の基本的理論、例えば、相対性理論ですが、
これらは同じカテゴリーに属するのです、天体軌道のプトレマイオス理論とですね。
これらは発明的理論なんですよ。
現代理論の創始者は、それを否定しませんよ。
事実として、それを強調してるんです。
彼らはそれに栄光を感じてるとさえ言えるかもしれません。
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アインシュタインは言いました、
「基本的原理が得られる唯一の方法は、純粋な発明である」と。
そして、彼は、ニュートンの試みに極めて批判的でした、
帰納的導出をです。
彼はこう言ったのです、
「ニュートンは信じた、彼のシステムの基本的概念と法則が経験から導き出せるだろうと。」

「彼の教義が、実際的に大成功したことで、」
「彼自身と18世紀、19世紀の物理学者には認識できなかったのかもしれない、」
「彼の体系の基礎が架空のものであることを」
アインシュタイン自身の見方か、
あるいは、物理法則の基本概念でしょうけれども。。。
私が基礎的と呼ぶものは、
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「論理的な意味では、人間の自由な発明である」
彼は、これらの宣言において、この見方を詳細に述べています。
彼の本「The World As I See It」からのものです。
「しかし、感覚は、この外界や物理的現実についての情報を間接的にしか与えてくれないので、」
「我々は、物理的現実を推測的手段でしか把握できない」
「しかし、理論科学者は、その研究や理論において、純粋に数学的な形式的考察に導かれざるをえなくなっている」
「なぜなら、実験者の物理的経験は、最高度の抽象領域にまで引き上げてくれることがないからだ」
「理論物理学の公理的基礎は、経験からの推測ではありえず、」
「自由発明に違いない」
こう信じてしまう一般的な傾向がありますね、
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現代物理学のアインシュタインや他の設計者が、
その体系について、こんな言葉で示すようなカジュアルなものではなかったろうと。
そうではなく、どこかしらの固い何かに基づいているのだろうと(信じてしまう傾向があるでしょう)。
そうではないんです。
ルドルフ・カルナップ(ドイツ哲学者)は言っています。
「これらは、言わば、ふわふわする空気の上に構築されている」
アインシュタインは、彼自身の理論について、十分な情報を提供しています。
明らかにするためです、彼が「自由な発明」というときは、まさに自由な発明なんです。
それ以外ではありません。
例えば、
電磁波放射の伝播は、彼の理論の重要部分を占めています。
その伝播の説明のために彼が発明した理論については、
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今お話ししていることが大きく関連します。
彼の本の中で言うのは、これが、いかに難しい問題だったかです。
彼はこう言って結論づけています。
「唯一の出口と思えたものとしては、この事実を当然と受け止めることだった」