ChrisBeatCancer:ジョン・ロビンズインタビュー


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皆さんこんにちは、ChrisBeatCancerのクリスです。
今日のゲストは、他ならぬ。。。
唯一無二の、ジョン・ロビンズです。
彼は9つのベストセラーの著者で、300万部以上を売っています。
彼の本は31以上の言語に翻訳されました。これには、
Diet For New America(邦訳:エコロジカル・ダイエット)、Food Revolution、Healthy At 100(邦訳:100歳まで元気に生きる!)があります。
そして、Food Revolutionのスポークスマンである息子さんのオーシャンと共に、
Earth Save Internationalの設立者、議長、名誉教授としてご活躍中です。
彼はまた、共同設立者であり、共催者です、25万人のメンバーのいるFood Revolution Networkの。
そしてまた、数多くの賞を授与されています、
アルバート・シュバイツァー人道賞、
グリーンアメリカライフタイムアチーブメント賞、その他多くです。
ジョンはカリフォルニアのディオ(?)に49年奥様と共に暮らし、
私は実際に彼の家に行ったことがあります。
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素晴らしい場所で、
一日を彼とその家族と共に過ごしました。
昨年のことです、非常に特別なことでした。
ジョン、ありがとうございます。このポッドキャスト参加に時間をとっていただいて。
ありがとう、クリス、一緒にいれることは楽しいですよ。
さて、あまりに多くを話さないといけないのですが。。。
あなたのストーリーから始めませんか?
知っている人もいれば、知らない人もいます。あなたの姓はロビンズですね。バスキン・ロビンズの名前です。
(訳注:31アイスクリーム)
あなたが下した決断についてお話しいただけますか?
バスキン・ロビンズを継がなかったことです。
もちろんです、これはかなり前のことなんですよ。
しかし、それが、それからの私の人生を決定したんです。
私の父と叔父が設立者ですね、バスキン&ロビンズの、そして所有してました。
設立し、開発し、世界一のアイスクリーム会社になりました。
素晴らしく成功した会社です。
そして、私は父の唯一の息子で、
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彼は家父長的な人でしたから、女は働くべきではないと。
そういったオールドファッションな考えでしたね。
そして、最後までビジネス的期待は私にかかったんです。
私の小さいこども時代から、私を仕込んだんですよ、成功するように。
それが彼のプランでした。
親として、何が子供を幸せにし、成功にし、安全にするかという信念がありますよね。
彼らに良い人生を与えるために。
そういった見方が、子供自体の運命に沿うものであれば、
それを与えられて、人生に喜びをもたらすなら、
それは美しいことですね。
しかし、そうでなければ、問題が起こるんですよ。
そういった問題があったんです。
それに沿いませんでしたから(?)。
もちろん、成長期に会社のいろんな部署で働き、アイスクリームが好きでしたよ。フレーバーも発明したし。
Jamoca Almond Fudgeを発明しましたよ。
-- マジですか???
そうですよ。他にもね。
-- すごい!
好きでしたよ。でも、
父は具合が良くなかったんです。太り過ぎで、非常に体調が悪く、
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叔父のバート・バスキンは、父の義弟で、共同設立者ですが、
54歳で心臓発作で亡くなりました。
とても巨大な男で、
たくさんアイスクリームを食べてました。全員がしましたけどね。
(?)
そうです。
彼が死んだとき、父に聞いたんです。「何かつながりがあると思うか?」と。
彼の死と大量のアイスクリームに。
「いやいやいや、彼の鼓動が単に疲れて停止しただけだ」と。
これが言葉のメッセージだったんですが、しかしサブリミナルなメッセージとしては、
彼の目を見ると、彼のエネルギーが表現していたんです、
それとボディランゲージでも、基本的にこう言ったんですよ、
「その質問は二度とするな」と。
心理学者のジョン・ブラッドショーはかつて言ったものですが、
家族に話さないルールがあると。
タブーの話題ですね、これは話せないんです。
私の家族では、それはアイスクリームと心臓病の関係だったかもしれません。
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ですから、父は、NOと言ったんです。
私には理解できたんです、その頃までに彼はアイスクリームを、この地球上の誰よりも多く作り、売っていたんです。
家族の製品が誰かを傷つけるなど思いたくなかったんですね。
まして、義弟の死を早めたなどとは。パートナーであり、私の叔父です。
しかし私は。。。
OK.。彼はそれを考慮できなかったんです。
できないんです。
私はしなければならなかった。これを見ないといけなかった。
カルマにしたくないんですね。
私は。。。
何歳頃のことですか?
-- 20か21ですね。
十分な歳ですよ、自分の考えと感情を持つのに。
そして、人生における自身の選択に責任を持ちたいと思う。
そして、一方には父が提供するもの、
できあいの道、黄金で敷かれた道があり、
もう一方には、私の良心があるんです。
そして、良心と一貫性を選択したんです。
そして、会社を離れ、父には私の選択の一貫性を話しました。
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率直に彼に対しても一貫性をとりたかったんです。
私は、一切のお金はいらない、資金を頼りたくない、
何の遺産もいらない、彼の富には一切何の依存もしないと。
莫大なものでしたよ。
その後、自分の険しい道を進んだんです。
私もわかってます、一人で険しい道を行くというのは。
ですよね?
-- そうですね。
私が興味があるのは、
何か本や影響のあった人というのは、
あなたの人生のその当時ですね、
本当に心変わりさせ、栄養に目覚めさせ、異なる考えに導いたというものはありますか?
そうですね、叔父が心臓発作で亡くなり、
54歳でです、彼は体重過多で、糖尿病で、
母も叔母も誰もが体重過多でした。
そして、わかりますか?誰も幸せでないんですよ。
この物質主義の追求があり、
お金は素晴らしいですよ、良いものですよ、私は別に貧乏のファンじゃありません。
しかしお金がゴールになってしまうと、
それ自体で完結してしまうんです。
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そして、優しさを奪い取り、
お互いの思いやりを奪い取り、
すべてがお金儲けになるんです。
自分達を貧しくさせていると思います、そのようにして。
いかに多くのお金を持とうがね。
私の家族はもともと多くのお金を持っていて、
しかし、私は多く(?)を持っているとは言えませんでした。完全に逆ですよ。
ですから、私はそれに流されなかったんです。
アイスクリームはおいしく、お金はたくさんあるとしてもです。
しかし、こうも感じました、
1960年代に子供でしたが、特権があったんですよ、
ドクター・マーチン・ルーサー・キングと一緒に働くという。
彼には本当に動かされました、非常にインスパイアされたんです、彼には。
そして、彼とのやりとりを通じて呼び起こされたんです、
単に金銭的な成功を追い求める人生とは違うやり方をです。
もしそれが、他者の出費によるものだとすれば。
こう感じはじめたんです、一つのアイスクリームは誰も傷つけませんよ。
しかし、ビジネスとなると、
一つより多く買って欲しいんです、たくさん買って欲しいんです。たくさん食べて。
そして人々がアイスクリームを食べるほど、心臓病になりやすくなるんです。
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叔父のバート・バスキンを殺したように。
私の家族全員と同じように体重過多になり、
私は、バスキン・ロビンズそれ自体を指弾するものではありませんよ。
ベン&ジェリーズがありますね、非常に人気のあるアイスクリーム会社ですが、
ベン・コーエンは平和活動家であり、愛すべき男です。共同設立者で、長いあいだ共同経営者でした。
彼は40代遅くに、4度のバイパス手術を受けたんです。
たくさんアイスクリームを食べてね。
わかりますかね?
私が言わんとするのは、バスキン&ロビンズだろうが、ベン&ジェリーズだろうが、ハーゲンダッツだろうが関係無いんです。
どの会社であろうが。
アイスクリームそれ自体が心臓血管システムに良くないんです。
実際には、身体のどの部分に対しても良くないんです。
心にも良くないです。
ガンになりたければ、良い食物ですよね。
アイスクリームだけではないですよね。
アイスクリームは、西洋食の一要素であり、
それは、肉、デイリー、加工食品だらけですよ。
そうです。
そしてまた、私は父を一緒にデイリーに行ったことがあるんですが、
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そこで我々はミルク製品を大量に作っていたんです。
カルフォルニアのセントラル・ヴァレーにある巨大なデイリーです。
その当時、
すべてのアイスクリーム店は、
カウンターの裏に壁があって、
そこにセピアトーンの美しい写真が貼ってあるんですね。
ガーンジー種やホルスタイン種のデイリーの牛が、
ウィスコンシンの美しい草原を眺めているところです。
しかし、我々はウィスコンシンからはミルクを得てなかったんですよ。
バスキン・ロビンズは南カリフォルニア拠点です、その当時は。
我々のミルク製品のほとんどは南カリフォルニアからでした。
あるいは、セントラル・ヴァレーですね。
ともあれ、そのデイリーの一つに行ってみると、
牛は肥育場にいるわけです。
彼らの一生で草など見たことがないんです。
このコントラクストですよ、これらの牛達の不安とストレスに対して、
アイスクリーム店の壁の写真ですね。
それが目についたんです。
思いましたよ、公衆にウソをついていると。
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イメージを見せていますが、
これは健全で、安心させ、落ち着かせ、鎮静するものですが、しかし、
真実ではないんです。
同じように、
バスキン・ロビンズにおける我々のモットーは、
その年のものは、「我々は人々を幸せにする」です。
父に言ったもんです。「違うよ、我々はアイスクリームを売ってるんだ」。
「我々は、人々の長期間の健康と引き換えにひとときの楽しみを供給してるだけだ」と。
彼は気に入りませんでした。
我々は目と目とあわせ、私はいわゆる何かしらの革命を感じたんです。
あるいは、我々の社会の変容をです。
これが私の望んでいたものです、よりお互いにつながりを持ち、
ですから、誰かの出費で自身の成功を計るのではなく。
私にとっては成功ではありません。私の望む成功ではありません。
ですから、私の良心が引っ張ったんです、私は一貫性を選択し、そこから離れたんです。
お金からも。
非常に異なる人生です。
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それは、本当に感嘆するところなんです。
かつて私も難しい判断をしました。
家族のビジネスから離れるという。
想像するに、お父さんとの多くの緊張があったのではと思います。
そうです。
それを後悔してます、私はできる限り敬意を表そうとしましたが、
結局のところ、彼のライフワークを拒否することになったんです。
これは厳しいですよ。
これがかなり関係を緊張させましたね。
しかし長い目でみれば、
関係はかなり修復がありました。
なぜなら、彼はバスキン・ロビンズの経営を続け。。。最終的には売ったのですが、
国でも最もリッチな男になりました。
が、彼の健康は坂道を転がりました、急速に。
それから私は「Diect for New America」を書きましたが、
(邦訳:エコロジカル・ダイエット―生きのびるための食事法)
我々はあまり会わなかったんです。
が、本を送りました。彼は読みませんでしたがね。
その後、心臓専門医に行ったんです。
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あまりに状態が悪かったもので。これは奇跡の瞬間だったんですよ。
正直に言われたんです、
「ミスター・ロビンズ、これは非常に悪いよ」と。
「今できるベストのこととしては、」
「なんとかして、残りの数年生きられればというところだ」と。
「より快適に」
「しかし、本当に良くなりたければ、大きな変化が必要だ」
「それて異なる結果になるかもしれない」
父は怖がりました。
言ったんです、「大きな変化とは?何をすればいいんですか?」と。
心臓専門医は向きを変えて、本をとり、
私の本を渡したんですよ、「Diet for New America」です。
「これを読め」と。
皮肉ですよね、
本は出たばかりで、医師や心臓専門医は知らないはずなんです、
それを書いたジョン・ロビンズは、
患者の息子などとは。
いつ頃のことですか?
1987年です。
これが起こったのは1988年です。
父はもちろん知ってましたよ。
彼は既に本を持ってたんです。彼に送りましたからね。
サイン入りですよ。
でも読んじゃいないんです。
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しかし、いまや医師には言いませんでしたが、
本を手にとり、
ある種のカルマ的不一致ですよね、その当時。
こっそりのぞき見できたらと思いますね。彼の顔を見るために。
しかし、その後彼は何度も言ったんです、
その後で起こったこととしては本を読み始めたんです。
彼は変化を起こし、もっと読み、変化させ、
より多くの結果になり、
それから20年生きたんです。
そのほとんどは非常に健康でした。
コレステロールは標準レベルになり、
血圧も大きく改善され、
残りの人生を(?)と言われました。
非常に深刻だった糖尿病は緩和されました、
足の切断が話されてさえいましたが。
失明の可能性もです。
糖尿病が無くなったんですよ。
彼は砂糖の摂取を完全にやめ、アイスクリームもです。
実質的にビーガンになったんです。
(植物以外を口にしない人)
私は正真正銘のベジタリアンでもありませんよ。
あたかもマッカーシーが紹介されたかのように(?)、
(?)。。。わかりませんが。。。
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ポイントとしては、彼は本当にやったんです。
彼は結局大きなヒーリングを成し遂げたんです。
思うに、
私の父は、あまりに侵されていたんです。
わかっていたんです、アイスクリームやステーキに、それが人生の道だったんです。
それでも人生を変えられるんです、これは皆の希望になります。
そして、彼は本当に私を誇りにしてくれました。
後年には大きな和解となりました。
ある時言いましたよ、神に感謝だと、自身の星を追う勇気があったと。
では、彼はアイスを全くやめたんですか?