デニーシュ・デスーザスピーチ


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ディネッシュ・デスーザ~映画「Death of a Nation」作者・監督
ワクワクして、興奮しています。
ここにこれて光栄です。
とうとう知ったんです、ウインストン・チャーチルの意図を。
彼がボーア戦争の後言ったことです。
こういったんです、
撃たれても、いつも平気なことは愉快だと。
私はトランプ大統領からの電話を受けました。
彼は、電話では、ナイスでもないし、非公式以上なんですが。
最初に言ったことは、
「ディネッシュ、私は、」
「シドニーにいるんだ、ジョン・ケリーとね。知ってるだろ?」
(おそらく大統領首席補佐官)
私はジョンは知りません、誰かは知ってますが。
そして彼は言うわけです。
「君は、米国の自由のための良い声を持ってると思うんだ」と。
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「君はひどい目にあったね、あいつらが君にすべてを仕掛けた」と。
彼が言うには、
「私には直す力がある」と。
「それをしよう、朝には赦免だよ」と。
「そして、君には外に出て、以前より大きな声で自由を叫んでほしいんだ」
「ワオ!来たぞ!」と。
少し、飲み込むのに時間がかかりました。
その瞬間に私の心には多くがきらめいたんです。
その意味としては、ここに居て見てますよね、
信仰と自由(Faith&Freedom)というテーマを。
で、思ったんですよ、私は信仰を保持しようとしてきた。
今自由があると。
私はアメリカン・ドリームを完全に取り戻したんです。
私の違反が、自身の経験に深く結びついたものであっても、
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つまり、17歳のときにアメリカに来たことですが、
移民であることの全体的な経験というのは奇妙なものなんです。
一つの場所を離れ、別の場所に行くわけですが、
ほとんどビルを離れるようなもんですね。
綱渡りの綱を渡り、
別のビルへと。
知ってることすべてから離れるんです。
友人や家族から離れ、
全世界ですよ、組み込まれたネットワーク、つながりのすべてです。
それと共に成長してきたものです。
そして、ダートマス(大学)の新たな環境に来たわけです。
我々の小さなグループが一緒になり。。。
私にとってはまるで代理家族でした。
そして、ウエンディ・ロングは25年後にニューヨーク上院議員に立候補しました。
我々はある種一心同体だったんです。
そして、彼女が上院議員に立候補すると、
助けたかったですから、
1万ドルの小切手を書きました。
選挙の制限金額ですね。
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彼女は、単純にヒロイズムを示すために出たんです。
これはほとんど、ドン・キホーテ的選挙ですね。
覚えておられるなら、ウイリアム・F・バックリー以来のものですよ、ニューヨーク市長に立候補した。
バックリーは、ほとんど票を得られず、
その後で、それほどひどく負けた理由を言ったのですが、
彼に投票したのは、招待された者だけだと。
これがウエンディの苦境だったんです。
文字通り、支持率では40%も下でした。
彼女が自分のスタッフにも払えないのを見て、
馬鹿げた計画を思いついたんです、
二人友人に、1万ドル小切手を書けといったんです。
僕が支払うからと。
こうして、選挙資金調達法に違反したわけです。
これは明らかにいつも起こってることですよね。
最近ではロージー・オダネルです、覚えているかもしれませんが、
資金調達法を侵したんです。5回ですよ。
そして、ロージーの事件では、発覚を避けようとしたんですね。
彼女は、自分の名前を別のスペルにして、
5つの異なる住所ですよ。
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自分の名前のスペルを間違える人はいませんからね。
これは明らかに意図されたものなんですよ。
で、コンピュータはこれらの寄付を照合することができず、一緒にできなかったわけです。
しかし、彼女の起訴にはならなかった。なぜか?
なぜなら、実際にはこれが基準だからですよ。
資金調達法違反の基準なんです。
もし、腐敗がなければ、もし買収がなければ、