ヒポクラテスの偽善:SpaceBusters&アンドリュー・カウフマン
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ヒポクラテスの偽善
ドクター・アンドリュー・カウフマン&Spacebusters
この二匹の蛇の物語は、
米国における医療が、最終的には世界の医療が、
いかにして破壊され、巨大な商業になったのお話。
その中心的ゴールとしては、大衆の中に病気を作り出し、維持することです、
儲けのために。
我々は、理性の能力を完全に発達させ、
そして本能があります、
悟りに達するための。
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そして、神のような者になるのです、それが我々の真の本質です。
動物のような人間は環境に適応させえます。
そして支配可能なのです。
悟りの者はそうなりません。
不道徳な三位一体があります、
企業的アロパシー医療、
これが、今日の主流派医療であり、
これが使うのは合成された巨大製薬企業の薬、
外科手術と放射線です。
医療的治療戦略を通じて、身体の遊離細胞を流してしまうのです、
合成薬によって症状を抑圧することによってです。
病気の原因をターゲットにし、排除することはせずにです。
何が病気(disease)あるいは、細胞のdis-ease(非楽さ)を招くのでしょう?
毒性の産業廃棄物、
毒性の食品、
酸性の食事、
大気汚染と水汚染、
メンタルなストレスの長期化、
感情的障害、
睡眠不足、
ドラッグ、アルコール、タバコ、
電磁波スモッグ、
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重金属汚染のワクチン、
そして処方薬でさえもです。
アスクレーピオス(薬方の神)の杖は、
医療による治癒の平凡なシンボルでした、
紀元前1400年から1200年のです。
彼は、治癒の神であるアポロの息子でした。
(4:46まで省略します)
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これは二匹目の蛇なのです。
それが医療に侵入したのです。
我々に確信させました、毒に支払うことが、
毒された細胞の治療だと。
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このシンボルが最初に軍隊に適用されたのは、偶然ではないんです。
インチキの細菌理論がアロパシー医学国家の原動力でした。
微生物が我々の身体を侵略し、
軍事防衛力が必要となると。
この病気モデルは、戦争モデルです。
病気とは、我々の外の、支配の効かない敵からもたらされるのです。
必然的に、医療マシンの薬を必要とします。
生き残る唯一の手段として。
我々はこの想像上の敵と戦います、化学兵器とマシンによってです。
普通の戦争のようにです。
アロパシー医療はこれらの敵の病気を、悪い遺伝子あるいは邪悪な細菌のせいにします。
ミステリアスで致死的ながん、
説明不能な自己免疫疾患、
そして神経変性の病気です
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その他多くです。
常に我々の支配の及ばないところにあるのです。
原因は不明であり、
自分では特定することも逆転させることもできません。
このようにして、我々は医療システムに依存するのです、我々を救うようにと。
どうしてこうなったのでしょう?
1847年のことです。
米国医師会(AMA)が設立されました。
医学生と医師の最大の組織です。
医療の医師とオステオパシー(整骨療法)の医師でした。
後者は代替医療の一つで、
その多くが今日では、何の医療効果も無いと言われます。
そして、医療カルテルによってエセ科学のレッテルを貼られています。
設立当初から、AMAは全州政府に促しました、
その手法を適用するようにと。
すべての出生、婚姻、死亡の登録です。
これ自体が商業の一形態でした。
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船の荷物が港湾当局に登録されるのです、
受け取る国の所有物としてです。
1897年のことです。
AMA法人組織は私的会社となりました。
そして1899年までに、
すでに連中は推進していたのです、強制的で未テストの天然痘ワクチンです。
そして、1901年に、
AMAは国家立法行為委員会を開始しました。
選出されてもいないNGOが、
選出議員のポリシーを指示しだしたのです。
1905年には、
製薬と化学物質委員会を作り、
薬剤製造と広告の標準を設定しました。
製薬企業に効果の証明を求めました、
あるいは、腐敗した賄賂をドック・シモンズ医師に払うことです、
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これらの薬をAMAジャーナルで宣伝するのにです。
基本的にこれは、最初のカタログ的販売代理店となりました。
明らかに薬剤製造業者は、ドック・シモンズとAMAに気に入られることに大きなインセンティブがありました。
後に知られるようになる、巨大製薬企業の回転ドア(天下り)です。
しかし、本当の恐怖は1904年に始まったのです。
AMAが医療教育委員会を設立したときです。
医大を規制し、教育してよい医療の種類を規定しました。
オステオパシーやホメオパシー医療は、
何の商業的インセンティブもありませんでした、これらの蛇にとっては。
連中は消されなければなりません。
その最初の始まりから、AMAは、一つの主要目的がありました。
完全な独占を成就し、維持することです、
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米国における医療の実行のです。
その手始めとして、
AMAは不信心なアロパシーの三位一体を作ったのです、
その実践のベースとして。
アロパシーは、強力に対抗しました、
19世紀に広まっていた医大に対してです。
ホメオパシーの実践です。
AMAこそが、史上最大の詐欺の一つなのです。
ここには、医療賄賂、
ゆすり・詐欺・腐敗、
強制と騙しがあります。
この組織の元ホラ吹き長、破綻ジャーナリストのドック・シモンズのような者は、
医大にはいったこともなく、実際に病院で働いたこともないのです。
そして、その保護者であるドクター・モーリス・フィッシュバインは、
サーカスの空中ブランコ志願者だったんです。
そしてパートタイムのオペラ歌手でした。
彼の人生で医師として働いたことは一日もありません。
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しかし、どういうわけかAMAを率いたんです。
恥ずべきインチキ標準を設立するためにです。
それが今日も続いているのです。
これについてのショッキングな詳細としては、
「Murder By Injection」の最初の二つの章でわかりますよ。
(邦訳:医療殺戮)
無料バージョンへのリンクが説明欄にあります。
フレクスナー報告書
1907年のことです、AMAは、カーネギー財団と共に、
医療教育についての長大な研究を精巧に作成しました。
米国とカナダについてです。
カーネギー財団ブレティンNo.4としても知られています。
その著者である。エイブラハム・フレクスナーは、野心のある教育者でした。
医師でもなく、医療科学者でもありません。
しかし、サイモン・フレクスナーの兄弟だったのです、
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彼はロックフェラー財団医療研究所の従業員でした。
後にフレクスナーは、医療教育におけるロックフェラー慈善活動の最初のディレクターになりました。
アンドリュー・カーネギーは史上二番目の金持ちとみなされていました。
ジョン・D・ロックフェラーに次ぐ者です。
カーネギーは米国鉄鋼産業と教育においてリード的役割を果たしました。
ロックフェラーは石油産業と医療研究に興味がありました。
フレクスナー報告書は1910年に発表されました。
その目的は医療サービスの改善です。
プロの医療教育を確立することによってで、
その基盤は主流派の科学原理です。
しかし、20世紀初頭には、何が科学として受け入れられていたのでしょう?
物質主義理論(唯物論)が17世紀に起こっており、
その主張としては、存在するものはすべて物質のみであることです。
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すべてが物質から構成され、
すべての現象、ここには意識、魂、スピリットが含まれますが、
物質の相互作用であると。
言い換えれば、物が唯一なのです。
科学的物質主義あるいは物理主義は、
20世紀初頭の哲学的位置になりました。
物理主義の主要な宣言としては、
物理的なもの以外は何も無いということです。
フレクスナー報告書が出る以前には、
従来のアロパシー医学よりも、二倍の医者が代替医療にはいました。
そして医療知識は小さな私的学校で教えられていたのです。
米国中でです。
この報告書がすべてを変えました。
米国の各州における警察力を背景として、
医療教育機関は、トレンドに沿うことを義務付けられました。
カーネギー財団が設定したものに。
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フレクスナー報告書はこう宣言します、
「人間の身体は動物界に属している。」
「組織と臓器をあわせたものである。」
「これは成長し、自身で再生産する。」
「一般法則に従い、衰えていく。」
「敵対的な物理および生物的機関による攻撃を受けやすい。」
薬草、ホメオパシー、カイロプラクティック、マッサージは、
ホラであるとして降格されました。
小さな医療教育機関は、閉鎖するかあるいは、
大学に合併されました、
これは大きな産業企業にサポートされたものです。
10年未満で、
医大の数は650から50に減りました。
医学生は、7500名から2500名に減りました。
高額な教育費用を払えなくなったからです。
本報告書には、医療教育の詳細な規制内容も含まれました。
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そして、薬理学が唯一の解決策としたのです、恐ろしい病気に対する。
この報告書が現代にもたらした結果としては、
政府による許可なしに、医療教育機関を設立してはならず、
そして医療研究は手続きに忠実でなければならないことです、
1910年の科学的研究の手続きにです。
つまり、物質主義、薬物、そしてワクチンです。
医師へのサプライは規制され、
残っていた医師の収入は増加し、
伝統的医療学校は中央集権化されはじめました。
1997年にはWHOが医療についての全権を支配するに至りました。