マイク・アダムス:Natural Newsとヘルス・レンジャーの時にとらわれない10の原則


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ヘルス・レンジャーレポートへようこそ、マイク・アダムスです。
これは普通ではないポッドキャストだね。
これからお話しするのは、
10の要点だね、僕が戦っていることの。
言い換えれば、10個の原動力、
目標と目的だ、僕が人生の中で持っているものだね。
それが本当にすべての原動力となってる、僕のしていることの。
少々背景を話すよ。これまでの僕のことを。
何が僕をこの地点にもたらしたのか。
なぜなら、多くの新しい読者や視聴者が来ているからね。
メインのNaturalNews.comの読者だね。
我々は今や多くのウェブサイトを立ち上げた、
newstarget.comに、
実際に100以上のものだね、独立したウェブサイトとして。
それが機能しており、
拡大しているよ。
だから、より多くの人が、
ヘルスレンジャーの哲学に入ってきてる。
そして、
ファンを得て、批判も得て、両方だね。
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明らかに、世界について重要なことをする者は、
二分されてしまうからね。それはいいんだけど。
でも、僕という人間についてわかってほしいんだ。
僕が誰で、
なぜこんなことをしているのか。
少々簡単な背景なんだけど、
僕には10%アメリカ・インディアンの血が入ってる。
中西部で育ち、
4年制大学を卒業し、
テクニカルライティング専攻だね
僕の妻は、合法移民だ。
彼女は台湾の中国人だ。
だから、僕はかなりの台湾派だね。
これは極東での民主主義だからね。
僕は標準中国語(mandarin)を話し、
二年ほど台湾に住んでた。東南アジアを回ったね。
コンピュータ・テクノロジーセミナーをやってたね。
部分的には中国語で、
香港やシンガポールのお客さんにね。
あとマレーシアとかね。
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それと、南アメリカにも住んでた、エクアドルに二年ね。
大きく自給自足食料を作ってたね。
エコシステムだ、食物森林だね。
持続型農業だよ。
自立とサステナビリティだね。
二年後にそこを売り払ったのだけど、
かつては完全に機能してた。僕と妻は。。。
失礼、食料の70%は作ってたよ、
そこでね。
今でもほとんど、
ほとんど100%の自立を達成してる。クールだよね。
自分で食料を育て、
発明したよ、フード・ライジング成長ボックスを。
food rising mini farm grow boxというんだ、実際の名前は。foodrising.orgにあるよ。
そして、CADシステムを使って、3Dプリント可能な部品を作った。
だから皆がフロート式バルブをプリントアウトできる。
これをタダで出してるよ。
だから、世界中の人がこれをダウンロードして、
自分のバルブをプリントできるんだ。
そして、電気無しに自分の食料を育てられる。
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これは電気無しの、 non circulating hydroponic systemという名前だ。NCHだ。
電気が要らないから第三世界では助かるよね。
それと、我々は数百の成長ボックスを寄付したよ、米国中の学校に。
僕は専務なんだ、
無給のだね、消費者ウェルネスセンターの。
consumerwellness.orgだ。
そこで我々は、助成金を出してる、栄養補助と公教育にね。
そして、food rising grow system のようなことをやってる。
それとまた、我々は多くのスーパーフード、食料を洪水犠牲者や火災犠牲者にも出してるよ。
今はテキサスの牧場に住んでいて、
2011年の火災から二匹のロバを救ったんだ、
中央テキサスでのひどい火災だよ。
こいつらが、繁殖力があってね。
二匹子供を生んだ。
だから今は4匹だ。
元気でやってるね。
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人参をやり、
二匹を健康に戻して、今は4匹だ。
それとまた、
放し飼いの鶏がいる。
自身の新鮮卵を作ってくれるね。
自分達の消費用だ。
それと二匹の犬ね。
アライグマから鶏を守らなきゃいけないんだけどね。
たくさんの自立的なことをやってるね。
サバイバルで、自立したことだね。
土地のものを食べてるわけね。
でもハンターではない、ハンターになったことはなく、
僕の哲学には無いんだ。
無差別に動物を殺すことは。
スポーツとしてね。
考えたことも無い。
もし飢餓状態になれば、
食べ物を狩るだろうけど。
でも、今の人はそれで狩りをするわけではない。
しかし、長距離射撃手ではある。
だから、修正第二条擁護派であり、
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武器を道具として使うね、テキサスの牧場では。
ときには、命を守るための道具が必要だからね。
だから、武器を道具として使い修正第二条派だよ。
長距離射撃手なんだけど、
拳銃の戦術コンバット訓練もしたね。
ショットガンコンバットも。
戦闘ライフルコンバットも
それと、至近距離コンバットに、刃物武器のコンバットだね。
それと、他者の武器排除コンバットも。
たくさんコンバットタイプ訓練をしてるね。
多くはイスラエル人とね。
思うに、彼らは世界でもベストのファイターだね。
ブラジル人というかもしれないけど、
BJJとかね。
ケージファイティングは話してないよ。
脅威の排除とサバイバルタイプの戦闘だよ。
イスラエル人がベストだね。
なんでこんなことを言うかといえば、
人々は彼ら自身の定義、箱に入れてしまうからさ。
「彼は保守派だ」とか、「環境派だ」とか、
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「科学者だ」とか、
「右派だ、銃好きだから」とか、
これやらあれやらと。
真実としては、誰も君を定義できないんだ、
単純なフレーズではね。
型にはまらないと思う。
民主党に100%賛成とか、共和党に賛成とかしないだろう。
そうであれば、ゾンビだよ。
多くの知的な人と同様、
僕も独立的に、
それぞれの状況を見て、考えるね。
候補やポリシーや、
ビジネス決定やらなにやらをね。
だから、ベストな決定をだそうと努力してる。
すべてのケースでね、小さくてローカルで個人的なことから、
大局的なことまで。
法律とかね、ときには、法に反対したり、推進したり。
新たな法を支持したり。
こういった問題について考えて、正しいことをやろうとしてる。
僕の信じる原理のためにね。
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この原理を話したいと思うんだ。
もう一つなんだけど、ちょっと戻って、
僕に影響を与えたものだけど、
僕はスポーツにも学術にも非常にアクティブだった、
例えば高校のときね。
若かったからね。
4年間陸上をやり、
2年間フットボール代表チームで、
僕のやったメインのスポーツだね。
たくさんのアウトドアをやったよ、子供時代には。
わかると思うけど、成長期にはネットはなかった。
だから、リアルなものをリアルな世界でやってたね。
たくさんやったね、自転車でのクレイジーなスタントとか。
スケートボードとか。
そんなことやって、未だに生きてるのが不思議だけど。
ソリだね、凍った湖で。
でも、十分凍って無いんだよ。落ちる可能性もあった。
そういったことだね。
そんなことをして、子供時代にも生き残れたわけね。
そしていつも学術的にも恵まれてた。
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クラスではいつも一番だったよ。
米国の学校システムは必ずしもそれほどの意味ではないけどね。
韓国家族の学究的達成等に比較するとね。
あるいは台湾家族とかインド家族とかにはね。
でも、要点としては、成績はよかったんだ。
学校は非常に退屈で、
多くのクリエイティブ・ライティングや、コンピュータ・プログラムをやってた。
初期のApple II コンピュータを持ってた。
たくさん作ったけど、実際にはクラスで紙にプログラムを書いて、
家に帰って、コンピュータに打ち込むわけね。
走らせて、デバッグするのね。最初はちゃんと走らないから。
面白いことをやってたよ。
幾何学や代数を知る以前にね、
円を描く方程式を見つけたりしてね。
x, y座標で。
単純に聞こえるかもしれないけど、
考えれば、非常に複雑なことがわかるよ。
[00:09:00]------------------------------
子供にはね、タンジェント、コサイン、サインも習ってないような。
どうやってx, yに円を描く?
単純な数学を使ってね。
そういった頭の体操をたくさんしてたね。
子供時代には、ルービック・キューブを解き、
ベストは26秒だったね。
通常は2分間ね。
もう解き方忘れたけど。
子供のときは熱中してた。
面白かったよ。
高校を出て大学に行き、
何をすべきか本当にわからなかったから、
たくさん落第点(?)をとって、実際には4年以上かかった、大学を出るのに。
4年半か5年だね。4年半だと思った。
サマークラスもとったね、
しかし落第(?)した、正確に覚えてるが、
数学と国際経済で。
微生物学のクラスをとり、
[00:10:00]------------------------------
遺伝子配列とか、そんなところ。
そして、学位を得たんだね、
テクニカルライティングの。
たくさん書いたね、フィクションも、
信じないかもしれないけど、大学時代には映画監督になりたかった。
そうなんだ、知る人ぞ知るだね。
正直なところ、お金がなかった、
州外の学校に行くためのね。
で、僕が行ってた学校は、
州の大学でね。
映画学校はなかったんだ。
それが理由だよ、今Natural Newsをやってる。
LAの映画製作に行ってたかもしれない、
もし資金があったらね。その当時。
わからないけど。何か変わったかもね。
別の場所に行ってたら。
だから、面白い子供時代だったんだ。
[00:11:00]------------------------------
そして、地域の大学にとどまり、
比較的地域だよね。
お値打ちだからね。
大学時代にも働いていた、夜間に宅急便のUPSでね。
それとコンピュータテクニシャンセールスだね。
小さなコンピュータショップで。
PCをカスタマイズして、
製作と修理だね、コンピュータの。
とても面白かったね。
そして、
GMAT(ビジネススクール入学適性テスト)だと思うけど、
大学を出る直前のころに、
テストのスコアは良くて、
これは良かったね、どういうわけか。
GMATは非常に良くて、超ハイスコアだった。
[00:12:00]------------------------------
オファーがたくさん来たんだね、大学院から。
でも、破産状態だったんだ。
本当にね。
借金があって。
結局台湾に行くことにした。
台湾では、
最初、短い期間は悪戦苦闘してた。
そして、
正直なお金を稼げるようになったね。
非常に良い金だよ。
一年で学費ローンを全部支払った。
どうやったかと思うだろう?
一年でどうやって学費ローンを支払ったか。
正確に僕のやったことを話すよ。
台北に住んでたけど、そこに台北エクスポセンターがあってね、
すぐにわかったんだ、時々、
毎月位かな、
何らかのエクスポが開かれるんだね。
家具会社のエクスポとか、
コンピュータ会社のエクスポとかね。
これは台湾政府がやってるものだ。
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そこに会社が参加して、ブースを買い、
台湾の企業が勢揃いしたわけね。
台湾には長らく製造企業があって、
何でも作ってた、カーボンファイバーから、
テニスラケットから、コンピュータ・マザーボードやモニタ、
多くのものだよ。
あらゆる種類の消費財だね。
重機やマシンから家具、衣服、なんでもだね。
で、ショーをやってた、ほとんど毎月ね。
仕事を持ってなかったんで、
エクスポに行くことにした。
どうにかして、プレスバッジを手に入れて、
そう難しくはないよ。
プレスとして入ったわけね。
でも、プレスとして報道するためじゃなくて、
ブースを回ってパンフを集めたんだね。
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全台湾企業の、彼らは製品をプロモーションしているから。
それを台北のアパートに持って帰り、
マーキングして、英語を修正したんだ、パンフのね。
だから、英語の修正に何時間もかけたよ。
「こういう言い方の方が正しい」とかね。
基本的に英語の先生だね、生徒の添削をするわけだ。
そのパンフを会社に送った。
手紙と共にね、
「御社のお役にたちます。パンフを完全な英語にできます」
「そうすれば、販売数がのびるでしょう」と。
長くかからずに、仕事が転がりこんできたんだ。
死ぬほど忙しかった。
台北中をバイクで駆けずり回って、
会社からお金をかき集めたんだ。
雇ってくれた企業からね。彼らのパンフを直し、
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広告を書き、
あらゆることをやったね。
ソフトウェア企業があったから、ソフトのマニュアルも書いた。
ゲーム企業のゲームのマニュアルとか。
そして、
文字通り、それではるかに稼いだよ。
1日に16時間位働いてたけど、
米国で稼いだよりはるかに多くね。
そして、約一年で学費ローンすべて返済し、
二年目に十分なお金をためたね。
米国に戻って、ソフト会社を始めるのにね。
それがスタートだった。
だから、誰からも何ももらってないよ。
遺産もないし、
誰も補助してくれてないし、
遺産やらなにやらも。
払える学校にいって、大学当時も働き、
海外にいき、
やっていける位の中国語を習い、
[00:16:00]------------------------------
起業家として開始し、
製品を出した。
トレードショーにだしたね。
(それまでは?)自分のスキルでお金を作るユニークな方法を見つけたわけだ、
英語の作文とテクニカルライティングのスキルだね。
これは公には言ったことがなかったと思う。
多くの人は知らないよね。
それが実際にライターとして始めたことだね。
で、国に戻って、ソフト会社をやってた、何年もね。
この部分は手早くするけど。
健康ではなかったね、当時は。
何年か米国にいたけど、
これは30歳位になるまでだね。
非常に不健康だった。
体重過多で、ほぼ肥満だったね。
二型糖尿病の境界上だ。
慢性的な背中の痛みがあり、
コレステロールが高く、
時々ウツになった。
多くの健康問題があったね。
振り返ってみると理由はわかるよ。
台湾で働いていたときは、マクドナルドで食べてたからね。
[00:17:00]------------------------------
悲しいね。
たくさんの加工ジャンクフードを食べ、ソーダを飲み、
本当にひどい食事だよ。信じられないだろう?
僕でさえ信じられない。
振り返ってみるとね。
いかに馬鹿になりうるかだよ、19歳、20歳では。
何食べようが気にしないんだ。
それと、当時は、栄養について話す人は多く無かった。
もし、高フルクトースコーンシロップが肥満を引き起こすなんて言ったら、笑われたね。
正気じゃない、みたいな。
でも、今は真実とわかってるよね。
今は、ワクチン中の水銀は自閉症の原因だと言おうものなら、笑われるけど、
10年後には、もちろんだと言われるだろうね。
そうなるんだ。
しかし、当時は、非常に不健康だった。
僕の人生のポイントだったね。
個人的不健康のブレーキングポイントだね。
正確な日を覚えてないんだが、
正確な経験はね、
[00:18:00]------------------------------
覚えてるのは、
問題を解決したかったんだ、
なぜ体重過多で、気だるいのかと。
坂道を転がるように感じた。
良い状況ではないと。
これを言うのを忘れてたけど、
朝ほとんど気絶しそうになるんだよ。
なぜなら、砂糖過多の朝食を食べてたからだね。
今は完全にわかってるけど、当時はね。
糖分過多の朝食だ。
ラッキーチャームとか、その手のクレイジーなシリアルね。
そして、健康的な油もとらなかったし、
亜麻油やチアシードや魚油もね。
ゴミ食べてたんだよ。
今の標準的な米国食だけどね。
トーストジェリーとかね、コーンシロップから作られたやつ。
あるいはポップタルトやらなにやら。
ゴミだよ。
文字とおり数時間後には、ほとんど気絶だね。
震えだして、
今は低血糖だとわかるけど。
[00:19:00]------------------------------
ほとんどが経験あるんじゃないかな。
早期の警戒信号だね、二型糖尿病の。
低血糖から始まるんだね。そして、二型糖尿病だ。
確実にそこに向かってた。
むちゃくちゃな食事だったからね。
良い栄養をとらずに。
思い出すのは、家族のかかりつけ医師なんだけど。
一般医だね。
血糖値を測った、二型糖尿病の。
結果としては決定的ではないと。
彼に言ったんだ、いくつか読んでみたところ、僕は低血糖じゃないかと。
彼の言ったことを思いだすよ、
「低血糖などというものは無い」と。
「頭の中だけだ」と。
これが最初の医師との関わりだね、
無知な。
この人に、僕は患者として長年関わってきたんだよ、彼の医療的意見を信じてね。
しかし、わかったんだ、彼は言ってることに何の根拠も持ってないと。
僕は低血糖だからだよ。
そして、より読んでみると、わかったんだ。
[00:20:00]------------------------------
朝、砂糖を食べてるからだ、それが血糖値を押し下げるんだね。
そして、数時間後にはほとんど気絶しそうになる。
そして、まさに最初の健康本を得たんだが、それは、
「Sugar Busters」だ。
ウイリアム・ダフィだと思ったけど(訳注:記憶違い)
シュガー・バスターズ、
誰を呼ぶ?シュガー・バスターズ!
(訳注:「ゴースト・バスターズ」の歌詞)
これが教えてくれたんだよ、
「なんてこった、食べてるものが健康に影響を与えるんだ」と。
思い出せるだろうか、当時は、
普通では無い考え方だったんだ。
今日でさえ、医師はこう言うよ、
食物は病気の予防とは関係無いと。
それでも医師なんだぜ。そう考えるんだ、脳足りんだからね。
完全に無知だ。
でも、1990年代当時は、
この本を読んだ当時は、
一般に信じられてたんだよ、
食物は病気とは無関係だとね。
病気の原因でもないし、予防にもならないと。
[00:21:00]------------------------------
食物はカロリーだと、
それが栄養学者のマントラだね。
カロリーはカロリーだ、どこからこようが関係無いと。
栄養は関係無く云々だね。
今は、正気には聞こえないよね。でも、
1990年代には、それが実際に信じられていたんだ。
だから、
この本を読んで目が覚めたわけね、人生で最初のことだ。
わかったわけ、「なんてこった」
「つまり、食物の選択で、自分の健康をコントロールできるってこと?」と。
「なんで、これまで誰も言ってくれなかったの?」と。
おそらく、ママは言ってたかもしれないけど、
全然注意してなかったね。12歳とかその当時はね。
僕は素晴らしい両親を持っており、ホームガーデニングも教わったし、
自分の野菜やフルーツも育てたもんだ。
自立のスキルも教わったし。
祖父母も素晴らしく、
農地で良く働いたね。
[00:22:00]------------------------------
とても若い時は、
トラクターを走らせ、干し草を運び(?)、
畜牛の周りでね、
納屋にペンキだ。たくさんやったよ、子供時代。
素晴らしい両親に祖父母だった。
教えてくれたんだね、
とてつもなく大きい役に立つ一連の知識をね。
でも、彼らは特に栄養については大きくこだわってなかった。
だから、どういう理由だろうが、
そういった情報が明らかでなく、吸収もせず、後でやってくるわけだが、
自らの発見によってだね。
この本を読み終わったんだ。
その後は、
ソーダをやめたよ。
すべてね。
完全に。
二度と戻ってない。
その日以来飲んだことは無いと思う。
決して。
いつ飲んだかも思い出せないね。
飲みたく無いのか?意味ないよね。
ソーダをやめて、すぐに症状がなくなったよ。
[00:23:00]------------------------------
朝食の砂糖をやめ、思った通り、
症状が消えた。とんとん拍子だったね。
より栄養について学び始めた。
そして、健康的な生活になった。
エクササイズと健康食生活の両方だね。
案の定、二年ほどで、
クレイジーなくらい健康になったね。
30代だったけど、
33か34かな。
非常に健康になって、非常に強健になった。
ぽっと外に出て、5マイル(8km)走るとかね。
ほとんど心拍も上がらないし。
犬を連れたんだけど、
彼女は疲れ果ててね、
休ませるわけね。
犬を疲労困憊にしたんだね。
そして、本当に素晴らしい栄養をとった。
実際には、現在はよりもっと良いけど。かつてのようにはエクササイズしないね。
[00:24:00]------------------------------
研究所やライティングで時間を使うからね。
かつてほどは壮健ではないよ。なつかしいね。
エクササイズが楽しかったからね。
でも、より食べ物について学ぶと、
原因と結果の原因だが、何を食べると、どんな健康になるかという意味でのね。
より興奮したんだよ、その可能性に。
皆にとっての可能性だ。全人類だよ。
なぜなら、比較的若かったし、これは新しいことだったからね。
思ったんだよ、「なんてこった。人々がこれを知れば」
「ガンを避けられるっての?食事だけで」
「なんてこった、革命的だよ!」
「メディアは報道すべきだよ。そうだろ?」
「医者は患者にこの情報をシェアすべきだ。そうだろ?」
「二型糖尿病は避けられるんだ、なんてこった」
「全部ひっくり返せばいいんだ」
「人々はより健康になり幸福になり、苦しみを減らせる」と。
「病院に時間を使うじゃなくて」
「社会にこれを広めねば。そうだろ?」
つまり、僕の目覚ましが鳴ったんだね。
[00:25:00]------------------------------
わかるでしょ?
それで、最初にNatural Newsを立ち上げたとき、
実際にはNewsTargetという名だけど、
目覚ましとしては、
「間抜け!」
「専門家は全部知ってるよ」
「公衆には知らせたくないんだ」ということね。
今の社会において、十分高いレベルの知識があるなら、
最終的には、実際の陰謀がわかり始めるよね。
そして、
本質的に陰謀があるんだよ。
支配体制の金銭的動機のようなものだね。
人々を無知にしておくのさ。
彼らが発見しないようにね、ガンの治療法や、
アルツハイマーの予防法、心臓病の予防、
連中は人々にそれを知られたくない。