自己の世紀、パート1:幸せマシン
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序論
嫌いなようだね
では、これか?(?)
100年前のこと、
人間の本質に関する新たな理論が、ジークムント・フロイトによって推進されました。
彼が発見したと言うのは、
原始的、性的、攻撃的な力が、心の奥底に隠されていると、すべての人間存在の中に。
この力には抵抗できず、
個人と社会をカオスと破壊に導くと。
このシリーズで述べるのは、いかにして力にある者が、
フロイト理論を使って危険な群衆をコントロールしようとしたかです、
大衆民主主義の時代にです。
群衆とその行動
この話の核心部には、フロイトだけではなく、
フロイト・ファミリーの他のメンバーがいます。
このエピソードでは、フロイトの米国の甥、エドワード・バーネイズを取り上げます。
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今日では、バーネイズは、ほぼ完全に知られていません。
しかし、20世紀における彼の影響は、
その叔父と同じくらい大きいのです。
なぜなら、バーネイズこそが最初の人間だったのです、
人間存在に関するフロイトのアイデアを使い、
大衆操作に使ったことです。
彼が米国企業に最初に示したのです、
人々に必要の無いものを、欲しがらせるようにすることを。
大量生産商品と、彼らの無意識の欲求をつなげることによってです。
ここから、新たな政治的アイデアが生まれました、
大衆をいかにしてコントロールするかです。
人々の内的な自己中心的な欲求を満足することにより、
彼らを幸せにし、(?)
これは、夢中になる自己の始まりでした。
それが、今日の我々の世界を支配するようになったのです。
自己の世紀
パート1 幸せマシン
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ウイーン
人間の心の仕組みについてのフロイトのアイデアは、
今や社会的に受け入れられるものになりました。
精神分析医がいるように。
毎年、ウイーンのグランドパレスにて、心理療法士委員会があります。
これは、心理療法委員会です。
心理療法士が来て、
上級の患者が来て、元患者が来て、
他多くの人たちです。友人とか。
しかしまた、
ウイーンの地域社会の人たちですね。
ナイスでエレガント、心地の良いところに来たい人です。
しかし、常にそうだったわけではありません。
100年前は、フロイトの考えはhouse burg Cour社会に嫌われていたのです。
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その当時、ウイーンは巨大帝国の中心地であり、中央ヨーロッパを支配していました。
ハプスブルグ家の強力な気高さの下、
フロイトの考えは恥であっただけでなく、
内的な感情を検証して分析するという、まさにその考えが、
彼らによる完全支配への脅威でした。
わかりますか?その当時は、こういった人たちが力を持っていたのです。
そしてもちろん、残忍な感情を示すなんてことはしません。
つまり、できないのです。
もし幸福でなければ。。。想像できますか?例えば、
国のどこかの城にいて、
深く不幸だと。(?)
メイドのところにいって泣くわけには行かないのです。
村に行って不平を言うわけには、その感情について。
できないのですよ。
これはまるで、誰かに自身を売ってしまうかのようです。できないのです。
彼らはあなたを尊敬すべきなんですよ。
もちろん、フロイトは、
その考えを大きく問題にしたのです。
自身を追求することです。
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そして、他の多くの事柄にも疑問を付さねば。
あなたの社会や、周りのすべてのものです。
その当時は良いことではなかったのです。
なぜ?
あなた自身が、ある程度まで帝国を作ったからです。
それが早々に砕かれるからです(?)。
しかし、帝国の支配者をより恐れさせたことは、
フロイトの考えです、すべての人間の内部が危険で本能的な動機であると。
フロイトは、精神分析と呼ぶ手法を考案しました。
夢や自由連想を分析するものです。
彼が言うには、発掘したと、パワフルで性的・攻撃的な力を。
これは、我々が動物だった頃の名残です。
感情が危険過ぎるため抑制されます。
フロイトが考案したのは探求方法です、
(フロイトの同僚)
隠された(?)です、現在では無意識と呼ばれるものです。
これは完全にわかっていないものです、我々の意識には。
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我々全員の心の中にバリアとして存在するのです。
これが妨害するのです、これらの無意識の隠れた・嫌な衝動が現れることです。
おやすなさい。
1914年のこと、オーストリア=ハンガリー帝国は、欧州を戦争に率いました。
戦慄が積み重なると共に、フロイトは、これを自身の発見した真実のひどい証拠であると見ました。
彼の書いた最も悲しいこととしては次です。
「これが正確に人々の行動のやり方である、精神分析からの我々の知識から言って」
政府は、人類の原始的な力を解き放ったのです。
誰もその止め方がわからないようでした。
エンリコ・カルーソー(オペラ歌手)世界最高の声
その当時、フロイトの若い甥、エドワード・バーネイズは、米国で広報係として働いていました。
彼の大きなクライアントは、世界的なオペラ歌手、カルーソーでした。
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彼が米国をツアーしていました。
バーネイズの両親は、20年前に米国に移民しました。
彼は、叔父と連絡を取り続けていました。
休暇にはアルプスで共に過ごしたものです。
しかし、ここでバーネイズが欧州に戻ったのは、全く違う理由でした。
カルーソーが、オハイオ州のトレドで公演する夜、
米国は戦争を行うと言っていました、ドイツとオーストリアに対して。
アメリカ参上!
戦争の一部として、
米政府はPR委員会を立ち上げました。
バーネイズは、米国の戦争推進のために雇われました。
ウッドロー・ウイルソン大統領が声明しました、
米国は、古い帝国復活のいために戦うのではなく、全欧州に民主主義をもたらすために戦うのだと。
バーネイズは、その卓越した腕を証明しました。
大統領の考えを祖国でも海外でも推進することにです。
そして、戦争終結時には、
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大統領への同行を請われたのです、パリ講和会議にです。
エドワード・バーネイズ、1991年:
驚きました、
ウッドロー・ウイルスソンの講和会議に行ってほしいのだそうです。
そして、1928年ですが、
私はパリにいました。
講和会議のあいだいました。
これはパリの郊外で行われ、
我々がやることになってたのは、世界を平和に、そして民主主義にです。
これが大きなスローガンですね。
パリでのウイルソンの歓迎会に、バーネイズは驚きました。
他の米国プロパガンディストもです。
彼らのプロパガンダは、ウイルソンを人々の解放者であると描き出しました、
個人が自由である新たな世界を作り出した者としてです。
彼らは、彼を大衆のヒーローにしたのです。
バーネイズは、ウイルソンに群がる群衆を見て、
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思い始めたのです、同じような類の大衆説得が可能だろうかと。
ただし、平時にです。
米国に戻ったとき、
私は決めたのです、
戦争にプロパガンダを使えるのであれば、
確実に平時にも使えると。
そして、プロパガンダは悪い言葉になっていましたから。なぜなら、ドイツが使ってましたから。
ですから、私がしたのは、
何かしら別の言葉を探すことです。
そうして、PR(public relations)委員会への道が開かれたのです。
バーネイズはニューヨークに戻り、PR委員会を作りました。
ブロードウェイの小さなオフィスです。
これが、この言葉が初めて使われた時です。
19世紀終わり以来、米国は大衆工業化社会になっていました。
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数百万が都市に住んでいました。
バーネイズは、扱い、変更する道を探しました、
新たな大衆の考え方をです。
このために、叔父のフロイトの著作をあたりました。
パリにいる間に、彼は叔父に手紙を送っていました。
ハバナの葉巻の贈り物と共にです。
フロイトが送ってきたのは、精神分析の一般向け導入部のコピーでした。
バーネイズはそれを読み、
人間内部の非理性的な力に魅了されました。
金儲けができるのではないかと思いました、無意識を操作することによってです。
PRアドバイザー、バーネイズの同僚:
バーネイズがフロイトから得たものは、まさにこのアイデアです。
人間の決断には、他に多くの要素があると。
多くの個人だけではなく、より重要なことは、グループにもです。
情報が行動を規定するというアイデアよりもです。
ですから、バーネイズは、このアイデアを定式化したのです。
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人々の非合理的感情を何とかすれば。。。
そうすれば、他の人たちをただちに動かすことができると。
そして、その当時の、ほとんどの政府当局者もです。
彼らは、細切れの情報を大衆に渡してるだけで、大衆が納得すると思ってました(?)
バーネイズはわかっていたのです、この世界はそういう仕組みではないと。
バーネイズは実験を始めました、一般大衆の心に対するものです。
最も劇的な実験としては、女性に喫煙させることです。
その当時女性の喫煙はタブーでした。
彼の初期のクライアントのジョージ・ヒルは、
アメリカタバコ会社の社長でした。
バーネイズに頼んだのです、これを打ち壊す方法を。
彼は言いました、その市場の半分を失っていると。
なぜなら、
男性達が、女性に対する公での喫煙をタブーとしたからです。
どうにかならないかと。
言いました、考えさせてくれと。
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そして言いましたよ、許可できるかと、精神分析医に会うことを、
タバコが女性にとって、どのような意味か見出すためにです。
彼は言いました、いくらかかる?
ですから、ドクター・ブリルに電話したのです。
A・A・ブリルです、彼は代表的な精神分析医でした。
その当時のニューヨークでですね。
なぜ叔父さんに電話しなかったんです?
叔父さんに電話すればいいのに。
ウイーンだからですよ。
A・A・ブリルは、米国最初の精神分析医の一人です。
そして、巨額の料金で、彼はバーネイズに言いました、
タバコはペニスのシンボルであり、
男性の性的パワーのシンボルだと。
彼はバーネイズに言いました、
もし、タバコを挑戦的男性パワーに結びつけることができれば、
女性も吸うだろうと。
そうすれば、自身のペニスを持つことになるからだと。
毎年、ニューヨークではイースター・パレードが行われました。
数千人の参加です。
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バーネイズはイベントを行うことに決めました。
裕福な初参加のグループにさせたのです、衣服の下にタバコを隠すことを。
そしてパレードに参加させ、彼の合図で、
劇的にタバコに火をつけるのです。
バーネイズは報道に言いました、
聞いたと、婦人参政権論者のグループが、
彼女らの言うところの、自由のタイマツに火を付ける抗議の準備をしていると。
彼はわかっていました、これが非難轟々になることを、
そして、写真家すべてがこれを撮影することをです。
そうして、このフレーズを準備していたのです、
これは自由のタイマツだと。
ですから、シンボルを提示するわけですね、
初参加の若い女性、公衆の面前での喫煙。
そしてこのフレーズです。
こういった類の平等を信じる人は、非常にこれを支持するわけです、
その後のこれについての議論においてですね。
自由のタイマツだからですよ。
米国のすべてのコインに何がありますか?自由の女神ですよ。
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彼女はタイマツをかかげてます。わかりますか?
ですから、これらはすべてが、感情ですよ。記憶ですよ。
そして、理性的なフレーズです。
たとえ、これに、多くの感情的要素が使われていてもですね。
このフレーズが理性的感覚に効くのです。
これらすべてが一緒になったのです。
そして、翌日のことですが、
これはすべてのニューヨークの新聞にかぎらず、全米で、世界中です。
その時点から、女性へのタバコの売上が伸び始めたわけです。
彼はこれを社会的に受け入れられるようにしたのです。
たった一つのシンボル的行動でです。
バーネイズが作ったのは、考えです。
もし女性が喫煙するなら、それが彼女をより強くし、独立させると。
この考えは、現代でも続いています。
私を抱きしめて、
愛しい人よ。。。
彼は実感したのです、
人々に非合理な行動をとらせることは可能だと。
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製品を、感情的欲求と感覚に結びつければ。
喫煙が、実際に女性を自由にするとの考えは、
完全に非合理です。
しかし、より独立したように感じさせるのです。
この意味したものは、無関係の目的が、
パワフルで感情的なシンボルになりうることです、
バーネイズが製品の売り方をどう見ていたかと言えば、
それをあなたの知性に売るのではないのです。
その自動車を買うべきだなどとですね。
そうではなく、それで気分が良くなることです、この自動車を持てば。
思うに、彼がこのアイデアの創始者でしょう。つまり、
大衆は単に物を買うのではなく、