ドクター・マコーラ:パトリック・ウッド、インタビュー


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皆さんこんにちは、ドクター・マコーラです。
健康を取り戻すお手伝いをしています。
本日はパトリック・ウッドにおいでいただいています。
基本的には、人生をかけて探求しています、
ミステリーを暴露することにです。
我々の見ているこの狂気のほとんどを、何が支配しているかをです。
最近はCOVID19パンデミックで誇張されていますね。
彼は本の著者で、二つとも私は読みました、
「Technocracy Rising」、これは、
これはクラシックで、数年前に書かれたものです。
世界的遷移のためのトロイの木馬です。
より最近のものは、
「Technocracy The Hard Road to World Order」です。
で、皆さんはテクノクラシーとは何かと思うかもしれません、
もちろん、この後やりますけれども。
しかし、パトリックは経済学者でもあり、金融分析家でもあり、
基本的には米国憲法についての著者です。
彼は、聖書的世界観を持ち、深い歴史的洞察を持ちます。
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現代のジャクソン主権(?)についてのです。
私が特に惹きつけられたのは。。。
私の、
私のアプローチとしては、理解のために探求することです、
問題の根本的な原因をです。
そして、私の成功の第一の寄与といえば、医学をやってきたことです。
なぜなら、私が洗脳されて、医者をやり始めたすぐ後に、
そして、医大で学んだ原理を使ったわけですが、
わかったんです、
これらは症状に対するバンドエイド以上のものではないと。
そして、人々が病気になる根本的な原因を治療することなど滅多に無いんです。
それと同様に。。。
興味深いことに非常に似ているんです、
多くの点でです。
だから、22年前に私のニュースを始めたんですね。
病気の根本となる原因を探求し、その情報をシェアすることです。
そして、最終的には、
少なくとも健康に関しては、
これらの多くの症状は、薬理学の薬の代替(?)に関連する傾向があり、
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そしてパラダイムに関連していると、
これは、健康の最適化と病気回避のための、本当に重要なライフスタイル変化に取り組むためのパラダイムです。
しかし疑問に思うんです。
何かしら別のものが、医薬品を越えた何かがあるのかと。
で、存在するという感覚を得るんです。
そして、より勉強するとわかるんです、ある種ロックフェラーに戻ることです。
興味深いことに、ジョン・D・ロックフェラーは生き、亡くなりました、
私の住居の1マイル半のところでですよ、
フロリダの。
彼とカーネギーがこの基盤を始めたんです。
これはカーネギーレポートと呼ばれています。
これが文字通り医学を変えたんですよ、100年以上前にですね。
110年前ですね。
薬理学的パラダイムに向けて、自然療法とライフスタイル療法から遠ざけたんです。
ですから、同様のプロセスが起こってるんです、
政治をガイドするという。
パトリックが行ったのは、信じがたく、鮮やかな暴露です。
私はこの仕事に魅了されましたね。
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最近これを見つけ、貪り食ったわけです、彼の二冊の本を。
なぜなら、本当に役に立つからですよ、
この裏に何があるのか、その理解をさせてくれるんです。
で、二つの段階がありますね、この理解には。
パトリックが大きく啓蒙してくれると思います。
そして、私が思うにこの議論において最も重要な要素としては、
これをひっくり返すのに、我々のできることは何かです。
さて、紹介はこれほどにして、ようこそいらっしゃいました。
多大な感謝です。
ご紹介に感謝します。
本当にうれしいんですよ、ここに来られて。
あなたはあまりに正しいですね。
我々の領域というのは非常に親しく関連してます。
問題という点だけではなく、アプローチの仕方です。
思うに、これは本当に重要なことだと思います、視聴者にとって。
単に、
視点を小宇宙に閉じ込めるのではなく、
ただ前にあるものにですね。
常に大局を探すんです。
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それが、私を導く光でした、
私がこれを1970年代遅くに開始して以来ですね。
それが私を非常に興味深い場所に導きました。
こう言わねば、興味深い研究対象の話題です。
そして、私は多くの方と会い、様々な物を見てきましたが、
このストーリー展開されてきたんです、今日でさえもです。
しかし、いったん大局を得れば、
見ないことは難しくなります。
いったん見てしまうと、見ないことは難しいんです。
そして、することすべてをガイドします、その時点の人生において。
これは本当に重要です。確実に医療では重要ですね。
なぜなら、医師や研究者が、全体的な絵を本当に理解していないのであれば、
どうやって理解できるというんです?その絵の小さい部分を。
細部までの詳細にたどり着いたときでにです。
非常に難しいですよ。
本当にその通りですね。
で、歴史を戻ってみましょう。
あなたの本を誤解してなければ、これが始まったのは。。。
この本は、あなたがアンソニー・サトンに出会ったことによるものですね。
私はこの人を30年前に読んだんです。
彼は、
あまりにたくさんの本を書いており、
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主には三極委員会ですが、
たぶんあなたは偶然カンファレンスで出会ったんですよね。
イベントで彼と食事をしたと。
親交を深め、最終的にコラボしたと。
その詳細を話していただけますか?
アンソニー・サトンとは誰なのでしょう?
私よりはるかにうまく話してくれるでしょう。
随分前ですが、その日を振り返ると、
随分前ですが、
予定を分割したように振り返りますね(?)。
他に説明しようが無いんです。
私はアリゾナのフェニックスから来て、
トニー・サトンは、カリフォルニアのアプタスです。
私とは非常に遠いですね。
彼と会ったこともなく、本を呼んだこともなく、
誰だか知らなかったんです。
両者がゴールドカンファレンスに参加しました。
1970年代のゴールド・バグ・カンファレンスの一つです。
ニューオーリンズですから、そこへは両者とも飛行機です。
ホテルに滞在ですが、ひどくブッキング過剰でした。
カンファレンス参加者の見積もりが低すぎたんです。
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ひどい状態の群衆でした。
そして、ホテルの小さなカフェに行くと、
ひどく混んでいて、
朝の6時半か7時ですね。
私は特に社交的な人間ではないんです、そんな早くには。
しかし、朝食をとりたいなら、コンチネンタル席へどうぞと言われました。
指定するから、そこに座れと。
なんてこった、知らない人と座るのかよと。
ともあれ、トニー・サトンの前に座らせられたんです。
そして、こんにちは、ここで何してるんですか云々で、
わかったんですよ、共通の関心事が。
共通の話しです。これは三極委員会に行くわけです。
私はこれを金融の視点から研究していました、金融分析家ですからね。
彼はより政治科学の視点から研究していました。
なぜなら、彼はちょうどスタンフォードのフーバー研究所を出てきたところだったんです。
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彼はこれを研究してきたんです。ところで、それが出てきた理由の一つなんですが。嫌われたんですね。
このグループの調査はですね。
そして、会って話し始めると、わかったんです、
我々の間に大きな話あることを。
朝食の終わりには握手をし、
同意したんですよ、少なくともニュースレター発行を。
我々の発見を大衆に公開するものです。
そうやって始まったんです。
(?)。
そして、関係を維持し、
数年は共に懸命に働き、二つの本を書いたんです、
「Trilaterals over Washington」と、
(?)
それと、
ところでこれらの本を再販しましたよ、最近。
Amazonでも私のウェブサイトでも。
それが私のキャリアを開始させたんです、若者としての、その時点では。
世界クラスの研究者であるアンソニー・サトンのような人をメンターとしてきたんです。
私の人生から消去できないものです。
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彼のコーチ無しでは、今日やっていることはできなかったでしょう。
あるいは指示や、彼を観察することです。
彼のマインドの働きもですね。
ある日彼が言ったんです、
このことは少なくとも半年は知らなかったんですが、
テレビを持ってないんです。
私は一日中テレビを見ていて、
彼は言うわけです、私の心を汚染したくないと。
何もいらないと。
そして彼は、私に15のジャーナルや新聞を購読させたんです。
いくつかは学究的で、いくつかはニューヨーク・タイムズのようなものです。
彼は毎朝2,3時間座り、
新聞をめくって記事を読むわけです。
表と裏と中間と、求人広告、何でもです。
彼は本当に意図していました、
心を集中させましたね、
彼のテーマに。そして正しいところを掘ることにです。
それが、今日の私を助けています。
巨大にですよ、やっていることを。
現代なら、彼は異なる戦略をとったでしょう?
存命であれば。
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確信しますね、テレビよりオンラインですから(?)。
そしておそらく、ニューヨーク・タイムズのような見方は好きではなかったでしょう。
文字通り、テクノクラティックの視点を受け入れていますよね。
現在はそこに従事していますよね。
なぜなら思うんです、
あなたが提示したものというのは、
視聴者の方のほとんどが、テクノクラシーという言葉を聞いたことがあると思います。
しかし、実質的に、誰も理解していないと思います、何であるか。
ですから、あなたは二つの本を書いているのですから、
これを定義してもらえませんか?
皆さんが理解できるように。
はい、
私はいつも、それ自身の定義としてソースを使います。
このケースでも適切ですね。
テクノクラシーは1930年代に始まった運動です、もともとはですね。
大恐慌のさなかで、
特にコロンビア大学で起こったんです。
科学者とエンジニアが集まり、
大恐慌の問題に取り組んだんですね。
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本当に不景気な時でしたよ。
スープ行列に、解雇に、財政破綻などです。
そして本当に資本主義や自由企業が死んだように見えたんです。
で、これらのエンジニア達は、
その素質として自己中心的であり、言ったんです、
「我々がもっと良くやれる」と。
「ゼロから新たな経済システムを発明できる」と。
「それが世界のすべての問題を解決するだろう」と。
「我々が皆を未来につれて行く」と。
このシステムをテクノクラシーと呼んだんです、
リソースベースの経済システムとして。
価格メカニズムを基礎とするのではなく、
我々の理解するような需要と供給ではなく、
そうではなく、エネルギーに立脚するんです。
連中は実際にエネルギー計画の利用を提案したんですね、お金ではなく。
そして、エネルギーを決定要素とすることです、
何を生産し、買い、売り、消費するかということに。
しかし、
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エンジニアと科学者ですから。。。
1938年に、この定義が出てきたのですが、
これを読みますが、
連中は、ある種カプセル化したんですね、
連中が科学的手法と科学的アプローチとして見たものを。
これを今日見ることは重要です。
なぜなら、わかるからです、同じ機微や、同じマインドセット、同じ思考プロセスをです。
連中がその当時持ってたものと同じものです。
私はこれが非常に危険で、危険な思考プロセスであると主張します。しかし、
こちらが、連中が1938年に、連中自身で結論づけたものです。
こう言ってるんです、
「テクノクラシーとはソーシャル・エンジニアリングの科学である。」
「社会メカニズム全体に対する科学的操作である。」
「製品を生産し、人口全体に配給するものである。」
まず最初にわかることは、
ソーシャル・エンジニアリングの科学ですが、
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これは十分ですね、身の毛がよだつのに。
なぜなら、
誰が科学的に操作されたいんです?
知らない誰かにですよ。
あなたを知らない誰かにです。
しかし、こういった考えもって、
あなたを修正し、作り変えるんですよ、何かしら別のイメージに。
しかし、最も重要な点は経済的な側面です、連中が心に持つ。
科学的な操作です、
社会メカニズム全体のです。
これは、社会の中の全構成員ですね。
製品をやサービスを作り、社会全体の人口に配布するんです。
これは、そもそも経済システムですね、政治システムではありません。
そして、
見るべき本当に重要な点としては、ここから大きく結論できることは、
テクノクラシーは、政治や政治家をこう見るのです、
不必要であり、不適切であると。
社会や歴史について、物事を進めるための障害物であるとさえです。
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ですから、連中は全政治家の排除を提案するんです。
単に追い払うんです、上院、下院、
選出された当局者とスタッフすべて。
そして基本的に、連中の望むことは、
組織図ですよ、今日の企業が持つようなものですね。
社長がおり、副社長があり、
様々なことを行い、
特定の部署には取締役がおりといった。
そして単に、政治システムそれ自体を消すわけです。
政府内に何の市民代表も無くです。
もちろんこの意味としては、
その時には、憲法も無関係になるわけです。
なぜならこれは、
存在することになっている政治構造を定義してますからね。
さて、これがテクノクラシーとテクノクラートの創世記でした。
連中はこのクレイジーな考えを持ったんです、
何かしら、他全員より優位なのだと。
この哲学というのは、もともと、
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テクノクラートにさえ、テクノクラシーの父として知られていますが、
1800年前後のフランスの哲学者です。
Henri de Saint-Simonです。
彼は、科学主義の父とみなされており、
社会科学との父とも、
超人間主義の父とも、テクノクラシーの父ともです。
で、彼は言いましたよ、そのエッセイの一つで、
「親愛なる科学者諸君、」
親愛なるですよ、
「親愛なる科学者諸君」と我々に書きました。
「先を予見する者なのだ、」
「なぜなら、科学は予測の方法を提供するからだ」
「これは役に立つのであり、」
「そして、科学者は他すべての人間より優れているのだ」
これは私の意見としては、
朝起きるのには悪い方法ですね、
そんな態度では。
「私はやってきた、ここにいる、誰よりも優れている」
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「我は未来予測の能力を持つ者なり」と。
Saint-Simonが言ったからです。
これがテクノクラシーのマインドセットです。
これが1930年代にあり、それ以来同じマインドセットですよ。
ですから、この種のエゴが見れるわけです。
現在はメディアにいる多くにですね。
後で話しましょう。
ありがとうございます、
フレームワークをですね。
歴史を理解するのは重要かと思います。
そして、わかることですね、テクノクラシーを実行した最初の国を、
あなたの本が説明する限りでは、ナチス・ドイツです。
ヒトラー下のです。
ですから、これを拡張できますね。。。
それを、1930年代にやろうとして失敗したことです。
そして、1975年には徐々に成功したわけです。
それとまた、テクノクラシーが共和党でも民主党でもなく、
マルクス主義でも資本主義でも無いことです。
単にイデオロギーなんですね。
それらからは独立なわけです。
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では、ヒトラーについてお願いできますか?
それをどう適用したかです。
そして進めたかと。
テクノクラシーは米国で始まったんです。
これはメンバー制の組織でした。
一時、ピーク時は、
50万以上のカード保持者がいました。
有料メンバーがですね。
米国とカナダにです。
カナダもまた、テクノクラシーにさらされたんです。
ところで、カナダのテクノクラシーの長というのは、
今日イーロン・マスクとして知ってる者の、祖父なんですよ。
ちょっとつながりが見えましたか?
特に興味深いことは、
この録画をしている間にも、
彼の会社テスラの株というのは、
あまりに大きくなっているんです。
今や、全米国の自動車会社合わせたものを越えてますよ。
そしてトヨタよりもです。数週間前は、
[00:17:00]------------------------------
リード的な巨大な、あるいは、
少なくとも最も資本のあった自動車会社です、世界でも。
ですから、クレイジーですね。つまり、
彼の会社はバクハツしてますよ。
知ってます。本当ですね。
後で、もう少しやるかもしれませんが、
ちょっと言及したかったんです。
彼のバイオを読みましたが、
そういったつながりはわかりませんでした。
テクノクラシーはここで始まったんです。
国中にメンバーいて、
ジャーナル、出版物がありました、
「テクノクラート」です。
そして、ドイツでは、
ほとんど同時期にですね、
そこでも組織が立ち上がったわけです。
彼らは、組織的に矯正されはしませんでした、
理解する能力のベストのためにですね(?)。
しかし、
ドイツ版のてくのクラシーは、ほとんどを英語で出版したんです。
時々はドイツ語への翻訳です。
同じ記事が、米国の仲間のところに来たわけです。
[00:18:00]------------------------------
ですから、少なくとも、姉妹組織と呼べるわけですね。
適切かと思います。
しかし、同類の人間で、群れをなしたわけです。
大きな仲間意識があり、
両グループとも基本的に同意したわけです、
テクノクラシーの全原理にですね、経済システムとしてのです。
そして、連中は同じ態度なわけです、
科学を使い、社会を操作すると。
ヒトラーが興隆したとき、
力を掌握すると共に、わかったんですよ、
組織としてのテクノクラッツが、
彼と競合するだろうと。
独裁者になることについて。
ですから、彼はテクノクラート党を非合法化したんです。
ドイツではですね。
ほとんど同時期に、カナダがテクノクラシーを非合法化しました。
米国でなく、カナダですよ。
多くの理由によって、
[00:19:00]------------------------------
彼らは考えたんですね、二つがつながっていると。
彼方のテクノクラシーが、ヒトラーをサポートしている云々と。
ともあれ、カナダでは二年間禁制にされたんです、解除されるまで。
しかし、第二次大戦のあいだ、
ヒトラーの統治のあいだ、
これは後に歴史家が発見したのですが、
これらのテクノクラート、会合や何やらを禁止された連中が、
連中は実際に戦争のあいだ非常に活発だったことです。
連中には、統計学者や数学者、物理学者等がいますね。
それとエンジニアです、ビジネス等に関わる。
連中は本当にヒトラーの拡大と独裁に寄与したわけです。
連中すべてが、彼のゴールに足並み揃えていたと言うわけじゃありませんが、
連中は喜んでサポートしていたんです。
なぜなら、ヒトラーとそのリーダーシップによって非常に高い報奨だったからです。
[00:20:00]------------------------------
そしてまた、戦争の間発見されたのは、これらのテクノクラートが、
これらのパワーの間でコミュニケートしてたことです、ナチス・ドイツにおいてですね。
ヒトラーは、異なる領域を分離しておくことに偏執的で、コミュニケートできませんでしたが、
しかし、連中はコミュニケートしてたんです、戦争のあいだ。
戦後になると、
これが興味深いんですが、戦争が終わると、
ヒトラーが死に、ニュルンベルグ裁判が直前になって。。。
ここ米国でトップシークレットの作戦が今や機密解除されてるんですが、
それについての多くの情報や本です。
ペーパークリップ作戦です。
1600だったか1200の、これらの
ドイツのトップ科学者やエンジニアを、
米国につれてきて、
連中の過去を消し、
米国の科学組織(?)に据えるわけです。
[00:21:00]------------------------------
国家的技術機関にですね。
おそらくNASAが最大の例でしょう、ロケット科学者が入った。
一人がフォン・ブラウンですね、
ペーパークリップ作戦で連れてこられた一人です。
ですから、ヒトラーを助けた同じ連中が、
完全にニュルンベルグ裁判をバイパスし、
確実に何人かは行くべきだったんですが、
米国につれてこられて、
高い地位を与えられ、
その科学とエンジニアリングの継続をしたわけです。
おそらく米国に少々不和があったでしょうね(?)。
話しの展開についてありがとうございます。
しかし、事実についてもまた。。。
これは党派の問題ではない点です
共和党でも民主党でもないと。
[00:22:00]------------------------------
これは、本当に下部にある力なんですね、
両党を動かしている、
ほとんど人が気が付かない。
そうです、本当に嬉しいですね、その点を把握していただいて。
本当にそうです。
申し上げたように1930年代に戻ると、
その当時のテクノクラートは、
我々の政治システムを完全に分解したかったんです。
事実として、おおっぴらにFDR(ルーズベルト)に呼びかけたんですよ。
彼自身を独裁者と宣言せよと。
そうすれば、テクノクラシーを実行できると。
彼はそれに乗りませんでした。
これは感謝しないと。
そうではなく、ニューディール政策のみになったんです、
比較するとはるかに良いですね。
しかし、
連中はすべての政治システムを排除したかったんです。
三極委員会がテクノクラシーの概念を取り上げた時、
1973年のことですが、
これをもたらしたのは、共同設立者のズビグネフ・ブレジンスキーです。
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そしてもちろん、デビッド・ロックフェラーの金が、プロジェクト全体の背後にあります。
しかし、ブレジンスキーはコロンビア大学の教授だったんです。
そして、本を書きました、
「Between Two Ages: America's Role in the Technetronic Era」です。
それがロックフェラーの目にとまりました。
ですから、ロックフェラーとブレジンスキーは、美女と野獣のようになったわけです。
そして、三極委員会を作ることになったわけです。
これが第一日目から宣言したのは、
連中が、新たな国際経済秩序を育成することです。
文献において、繰り返し言ってます、
これがサトンをエキサイトさせ、私をもですが、
この国際経済秩序とはなんぞや?何を話してるんだと。
我々には経済秩序がありますよね、うまく行ってるように見えるものが。
なぜすべてを変更するんだと。
どんなアイデアかと。
その当時のテクノクラシーを本当に理解していなかったんです。
振り返ってみるとですね。
今はわかりますよ、
すべてがぴったりとすることを発見しましたが。
しかし三極委員会が、
ジミー・カーターの政権を乗っ取ったんです。
[00:24:00]------------------------------
ほとんどすべてをです。
カーター自身がメンバーだったんです。
ウォルター・モンデール(副大統領)もメンバーで、
ブレジンスキー(大統領補佐官)がメンバーでした。
ある時は一人を除き閣僚全員が三極委員会のメンバーでした。
その後数年は、
世界銀行総裁の10人のうちの8人は。。。