BIN:ジニーオイル調査 Part 6 新世界秩序がイラン・イラクを攻撃
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ジニーオイル調査、パート6です。
新世界秩序がソ連を崩壊させた後、
もはや連中に反対する者はいなくなりました。
ですから、1990年から1991年のあいだ、
私は高校を91年に出たんですが、
連中は、本当に世界支配を加速し始めたんです。
1950年代に戻ると、
英国はイランのすべての石油の支配を握りました。
アングロ・ペルシャ石油(Anglo-Persian Oil Company)という会社を使ってです。
APOCです。
その現在の名前は、British Petroleum あるいは BPです。
イランの人々は、ナショナリストを大統領に選出しました。彼の名は、モハンマド・モサッデクです。
モサッデクは英国をイランから追い出し、石油産業を国有化しました。
国民に利益を分け与えるために。
これは西側の石油会社に大きな痛手です。
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ですから、連中は攻撃犬を送り込んだんです、CIAです。排除のために。
そして、1953年にCIAは、民主的に選出されたイラン政府を転覆し、
腐敗人形を立てたんです。自らをイランのシャーと呼びました。
「イランの王」ですね。これがAjax作戦と呼ばれます。
シャーは石油を西側の石油会社の手に戻しました。
イラン国民は嬉しくないですね、
何もできなくなったんですから。
CIAは、シャーが力の座を維持できるように、
イラン諜報局を作ったんです。秘密警察ですね、
SAVAKという名前です。
SAVAKは暴力的で、
6万人のスパイがいましたが、イスラエルのモサドから訓練を受けていました。
連中はイランの人の歯をけとばし、
イラン市民を取り囲みました、禁書を持ってる位の小さな罪で。
連中は人々を拷問し、馬鹿げた犯罪で牢獄に閉じ込めました。
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不思議に思いますよね、なぜイラン人が米国とイスラエルを巨大な悪魔と呼ぶのか。
読んでください、CIAとモサドがイラン人に何をしたかを。
1950年代にです。彼らが何に起こってるか理解できます。
そして、人々はとうとう反乱を起こしたわけです。
リーダーシップをひっくり返し、アヤトラ・ホメイニ師になったわけです。
1970年代のあいだ、人々は立ち上がり、
イランのシャーを追い出したわけです。
もちろん、彼らは西側の企業から油田を取り戻したわけです、乱用されていたものですね。
イラン革命は、
1979年に起こりました。
まさにその次の年ですが、米国は、
CIAのスパイのサダム・フセインにせかしたんです、
8年に渡る野蛮なイランへの戦争を。